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19歳のロナウジーニョを観た幸せ。
強烈に光った“ガウショ”は瞬く間に。
posted2020/06/25 11:00
text by
徳原隆元Takamoto Tokuhara
photograph by
Takamoto Tokuhara
世界にその名が知られるスター選手を、まだ粗削りな原石だったころにライブで見たことを思い出すと、ちょっとした嬉しさを感じる。自分だけの発見とは言い過ぎだが、多くの人よりも先に、選手の才能へ触れることができたという思いがそうさせるのかもしれない。
“ロナウジーニョ・ガウショ”。
若き日のロナウジーニョがブラジル国内で頭角を現し出したころの通り名である。ガウショはポルトガル語で「カウボーイ」を意味する。当時、ロナウジーニョが所属していたチームは、ブラジル南部のリオ・グランデ・ド・スル州の州都ポルト・アレグレに本拠地を置くグレミオ。アルゼンチンとウルグアイに国境を接するリオ・グランデ・ド・スル州は、勇敢なガウショの地として知られる場所だ。
本名のロナウドに指小辞を付けたロナウジーニョはブラジルでは一般的な名称のため、同名の選手と混同されないように、そう呼ばれていたのだ。
フィジカルサッカーから現れたテクニシャン。
ロナウジーニョが所属していたグレミオは、ブラジルサッカー界にあって伝統的に異質なスタイルを特徴としている。リオ・デ・ジャネイロ州やサンパウロ州のクラブのようなテクニックを駆使したサッカーとは異なり、ガウショの気質を象徴するかのようにフィジカルを前面に出して戦うタフなスタイルが時代を超えてチームの根幹となっている。
奇しくも人々がイメージする、限りなくブラジル的なサッカーを体現するロナウジーニョは、このガウショの地から出現したのだった。そして、ロナウジーニョ・ガウショとして国内で脚光を浴び始めていた彼の存在を、決定的なものとしたのが19歳で参加したシドニーオリンピック南米予選である。