One story of the fieldBACK NUMBER
清原和博、甲子園中止への思いを語る。
「一緒に泣くことしかできない……」
posted2020/06/02 20:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Takuya Sugiyama
「夏の甲子園、中止――」
5月20日、清原和博はこのニュースを自宅のテレビで見た。そして泣いたという。
「なんというか……、言葉にならなかったです。その後、高校球児たちが泣いているところが映されて、それを見てたら、涙が出てきました。自分が甲子園に出たとか、ホームラン記録をつくったとか、そういうものさえ無くしてしまいたい。彼らに申し訳なさすぎて……。そんな気持ちになりました」
清原が涙したのは、その喪失の大きさが想像できるからだという。
「世の中の人たちは、高校3年間の集大成が失われたと思うかもしれませんが、ぼくはどうしても自分が甲子園に辿り着いた道のりを思い浮かべてしまうんです。9歳からリトルリーグで野球を始めて、夏休みにブラウン管の中に映る甲子園に憧れて、あそこに行きたいという夢を抱きました。野球少年にとっては人生最初の夢なんです。そのために監督、コーチに殴られて、お母さんには朝早くから弁当を作ってもらって、暑い日も寒い日も雨の日も甲子園を夢見てやってきたんです。その間に、どれだけの汗を流して、どれだけの涙を流してきたか。最後の夏というのは決して高校3年間だけのものではなくて、球児やお母さん、家族にとっても少年時代の集大成なんです」
「どこにもぶつけられない涙だと思う」
1980年代から時代は流れた。ただ、甲子園と野球少年の関係はほとんど変わっていないと、清原は考えている。
「今の時代はぼくらの頃とは違って娯楽がたくさんあります。高校生は野球をやらなくたって、部活に入らなくたって、他に楽しいことがたくさんあります。でも、その中でも甲子園に行きたいからと親元や地元を離れて見知らぬ土地に越境入学して、おしゃれもできない坊主頭にして、泥にまみれて、そうまでして甲子園の土を踏みたいと思っている子供たちがいまだにたくさんいるんです。
その中でも野球で大学に入ったり、プロに入ったりする子は一握りで、高校3年で野球をやめていくという子が圧倒的に多いと思うんです。
そうした時に最後の夏というのは負けて泣いて、人生のひと区切りをつける場だと思うんです。でも今年はその場すら無くなった。彼らの涙というのは、うれし涙でも悔し涙でもなく、どこにもぶつけられない涙だと思うんです。それを思うと……」