One story of the fieldBACK NUMBER
清原和博、甲子園中止への思いを語る。
「一緒に泣くことしかできない……」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/06/02 20:00
高校時代、甲子園で実際に使用した金属バットを手にした清原和博。
「『あの時、甲子園やれたんじゃないか?』と」
「中止の理由に『移動のリスク』というものがありましたけど、例えば試合の前の日まで大阪には入らないことにする。その場合、遠方の高校にはハンデになるかもしれませんけど、甲子園に出られるならそれくらいのハンデなんていいじゃないですか。それについて不満を言う球児がいるでしょうか。
県内だけなら大きな移動はないわけですから、地方大会は3年生の父兄だけ観戦していいとか、そういうことも考えられるわけじゃないですか。
ぼくが高校球児だったら『大人の都合で中止なんて……』と考えてしまいます。おそらく時間が経てば経つほど彼らの心には『あの時、甲子園やれたんじゃないか?』という思いが浮かんでくるのではないでしょうか。一生かかっても心の整理はつかないんじゃないでしょうか」
「彼らと一緒に泣くことしか……」
PL学園1年生の夏から3年の夏まで5度全てで甲子園の土を踏んだ。歴代最多13本のホームランを打った。そんな清原の口から、球児たちへの言葉は次から次に溢れた。
「甲子園というのは世界一の大会だと思うんです。メジャーで大舞台を経験してきた佐々木(主浩)でさえ『夏の甲子園っていうのは何ものにも代え難い』と言っていました。ぼくもそう思います。だから、小さい頃からいろいろなことを犠牲にして甲子園のために辛いことにも苦しいことにも耐えてきた彼らのことを思うと……、とても慰めなんて言えないんです」
そしてここまで言うと、清原はふと我に返ったように力なく呟いた。
「でも、じゃあ今のぼくに何ができるかと言ったら何もできないんです……。彼らと一緒に泣くことしかできないんです」