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羽生結弦の「バラード第1番」再演。
ピアニスト福間洸太朗が語る卓越度。
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byAsami Enomoto
posted2020/04/04 11:30
四大陸選手権のSP演技後、「これまでの『バラード第1番』で一番よかったんじゃないのかなと思います」と羽生も満足げな笑みを浮かべていた
表情・指先からショパンの苦悩が伝わる。
『バラード第1番』は生涯に作曲したもののほとんどがピアノ曲だった、天才作曲家フレデリック・ショパンの初期の代表作だ。
1810年にポーランドで誕生したショパンは、20歳の頃、当時、政治情勢が不安定だった母国から逃れ、西ヨーロッパへ活動を広げた。その直後、故郷ワルシャワで暴動が起こり、ウィーンにいたショパンは多大な不安や憤り、悲しみに明け暮れた。
「実は祖国を出て最初に滞在したウィーンでも反ポーランド精神が芽生えていて、ショパンは思ったような活動ができないばかりか孤立してしまいました。その後、ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチの詩にインスピレーションを得て、『バラ―ド』第1番~4番を書いたといわれています。
どの詩を『バラード第1番』に当てはめたかは確証されていないんですが、ミツキェヴィッチもロシア領内に追放されるなどの経験をしながらも、ポーランドの独立を願い、民族蜂起の思想に影響を与え、ショパン同様パリに移り住んだので、祖国愛、望郷の念など共感する点も大きかったと思います。そうした切迫感や追い詰められた人間の感情のようなものが、この『バラード第1番』に盛り込まれているような気がします」
果たして、羽生がどこまで『バラード第1番』が作られた背景を理解しているのかは分からない。しかし、彼の“2分50秒”を見る限り、1つ1つのエレメンツ、表情、指先に至るまでの動きからは、ショパンの「苦悩」や激動の人生が伝わってくるような気がする。
もはや羽生結弦の代名詞といっても過言ではない『バラード第1番』。
果たして、今後、どんな「顔」を見せてくれるのだろうか――。