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“島流し”状態のガンバ若手を磨く、
森下仁志U-23監督の目利きと反骨心。
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/06/04 11:30
食野亮太郎(左)に指示を出す、森下仁志G大阪U-23監督。J3の舞台で若手を磨き、トップチームへ送り込んでいる。
ダメな奴、折れた奴がくる場所じゃない。
しかし、クラブのOBでもある森下監督の存在が、食野らの支えになって行く。
熱血漢の指揮官が選手に強調したのは反骨心である。
「ダメな奴、折れた奴がくる場所みたいな感じだけど、そうじゃない。ここからトップに行くんだと最初に言いました」
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森下監督もジュビロ磐田で解任され、ザスパクサツ群馬ではJ3降格の憂き目を見た。指導者としては挫折を重ねてきたことは本人も自覚するが、「ガンバへの愛着はずっとあった。いつか監督をしたかったですし、それ故に責任の重さも感じていました」と自らの立ち位置を明かす。
捲土重来を期す選手たちの思いは、自らにも重なり合うものだったのだ。
ハードな練習を課す森下監督。
もっとも、指導に関して森下監督は「鬼」だった。就任当初から「ガンバの若手は皆、上手い。そういう選手がタフに戦えるようになれば怖いものはない」というポリシーのもと、徹底してハードな練習を課していく。
午前と午後の2部練習は当たり前。そして少人数ゆえに、攻守両面で個の仕掛けにこだわるメニューを取り入れた。
J3が開幕した当初、中村敬斗も、ガンバ大阪U-23で練習をこなすことがあったが、2対2などの練習をしている最中、順番を待つ選手は心肺機能を上げるべく、ペースを上げてランニング。練習を終えてクラブハウスに引き上げる中村も、まるでフルマラソンを終えた直後の選手のように、呼吸を乱しながら「キツいっす」と苦笑いしたものだった。
サブメンバーがGKを含めて3人というJ3の公式戦も、タフさを身につける上での追い風となっていた。
「僕らは交代選手がいないので、やり切るしかない。後半15分ぐらいから足が止まってくる時間帯ですけど、監督からは『それは想定内。そこからがお前らの気持ちの部分だ』と言われ続けていました」と振り返るのは福田である。
4月24日のルヴァンカップのジュビロ磐田戦。試合終了間際に、長い距離をドリブルで持ち上がってチーム4得点目を叩き出した中村もこう語っている。
「ただ、走らされていたわけじゃないですから。森下監督のもと、ひたすらボールを使って1対1とかをやってきましたし、試合よりも練習の方がキツいのでね。それがあのゴールにつながったと思います」