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セイウンスカイのひ孫がダービーへ。
何回裏切られても「馬主という病」。
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph byKiichi Matsumoto
posted2019/05/16 07:00
ニシノデイジーは「ダービーは参加賞」と言われているが、関係者が期待しないわけがない。
あの時、騎手を代えた罪悪感。
そんな西山も、セイウンスカイのときには徳吉孝士から横山典弘に代えている。あのときは父の西山正行が高齢になり、しかも病気だったという事情があった。
「父にとって最後のクラシックのチャンスなので、悔いのないようにしようと代えたんですが、徳吉くんには悪いことをしたと、いまでも思っています」
いまは頻繁に騎手が代わり、トップホースにはトップジョッキーという風潮があるが、むかしの調教師は馬をつくりながら人も育てた。だから「先生」だった。そういう時代から馬主だった西山は「馬を預かるのではなく、人を預かるのが調教師」だと言う。
「だからぼくは、いい馬を預かる人でなく、人を預かる調教師に馬を預けたい。そういう人間関係が大事なんです。この厩舎とこの騎手でこの馬の夢を見ていこう、育てていこうという競馬でないとだめなんです」
たとえいま失敗しても、10年後20年後に調教師になった騎手たちが、馬主になった西山の子の馬を預かってくれる。そういう人の縁がつながっていくのが競馬の世界で、西山自身も父の時代から縁がある人たちとの関係を大事にして馬主をつづけてきた。
「ダービーで馬を引くのが厩務員の夢」
というわけで、ダービーのニシノデイジーである。皐月賞のあと西山はダービーをパスして、神戸新聞杯から菊花賞というプランも考えたが、厩舎側から「ダービーに行きましょう」と言ってきたという。
「ダービーのパドックで馬を引くのは厩務員の夢なんです。2000人いる厩務員のなかで、ダービーのパドックで馬を引けるのは18人。ノーザンファームの馬が入らない厩舎にとっては奇跡的なことで、高木厩舎の高森裕貴厩務員もダービーのパドックで馬を引きたいでしょう。それも大事なことですから、予定どおり、ダービーに行くことにしました」
西山自身もダービーのパドックには立ちたい。ダービーは'05年のニシノドコマデモ(6着)以来だ。ただ、ダービーは馬主として名誉なことだが、土曜日1レースの未勝利戦もおなじように大事なのだ。そうやって数えきれないほどの負けを重ね、小さな1勝をよろこびとして、西山は約40年間競馬場にかよってきた。
「もう、馬主という病ですよ。馬が好きで、人が好きで、何回裏切られても、懲りない、めげない。我慢が服を着ているのが馬主だと、ぼくはいつも言ってるんです」
ニシノデイジーは皐月賞のあとも元気にしている。東京競馬場の東京スポーツ杯では皐月賞2着のヴェロックスに勝っている。穴党は手ぐすねを引いて待っているのだが。
「ダービーは参加賞。出られることをよろこびとして、静かに観戦しますよ」
そう言って西山は笑った。
何回裏切られても、懲りない、めげない──。馬券を買うほうもおなじだ。
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