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セイウンスカイのひ孫がダービーへ。
何回裏切られても「馬主という病」。
posted2019/05/16 07:00
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph by
Kiichi Matsumoto
4月14日、皐月賞当日──。レースを終えたニシノデイジーが戻ってきた。高木登調教師が迎える。馬の無事を確認し、勝浦正樹騎手と話をしている。
「ぶつけられて、かかっちゃって……」
ふたりの会話に耳を傾けているのは穴予想で知られる名物記者──その人はニシノデイジーを本命にしていた──だけだった。
そのようすを、やはりニシノデイジーから馬券を買っていたわたしが見ている。ほかの取材者たちは優勝馬や惜敗した馬の関係者にコメントを求めて走りまわっている。
名物記者と目が合った。同病相憐れむ。
その5日後、わたしはニシノデイジーの馬主、西山茂行氏(以下、文中敬称略)をたずねた。
勝浦が話していたように、2コーナーを回ったところでほかの馬と接触してやる気になったニシノデイジーはリズムを欠いたまま前の馬を追いかけ、直線に向く前にスタミナが尽きた。17着と大敗したあとだったが、西山は意外とさばさばしていた。
ニシノフラワーとセイウンスカイのひ孫。
ニシノデイジーは西山牧場が生産した2頭のクラシック馬ニシノフラワー('92年桜花賞)とセイウンスカイ('98年皐月賞、菊花賞)を曾祖父母にもつ馬として血統面でも注目された。平成元年にうまれたニシノフラワーは30歳になったいまも西山牧場育成センターで元気にしているという。
「ニシノフラワーとセイウンスカイは西山牧場を支えてくれた馬で、その曾孫ですからね。活躍してほしいと思ってましたけど、ニシノデイジーがでてくれたおかげで、従業員が牧場でやっていることが間違いでないとわかったのが大きいですね」
ただ、ホープフルステークスで3着に負けたあたりから、クラシックで勝浦を乗せるべきかどうか、周囲が騒がしくなった。そのとき西山は「すくなくともダービーまでは勝浦」と明言した。
新馬戦から馬を任せ、札幌2歳ステークス、東京スポーツ杯2歳ステークスと勝ってくれた騎手を降ろす理由はない。それは、馬主としてあたりまえのことだ。