スポーツ百珍BACK NUMBER
ついに訪れた「羽生善治九段」。
なぜ彼の存在は将棋の枠を超えるか。
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byKyodo News
posted2018/12/21 20:00
タイトルのあるなしに関わらず、将棋界の顔は今も羽生善治である。
様々な分野に興味を持って。
ものごとの一部にとらわれず、全体に目を配る。いわゆる「大局観」は羽生善治たらしめるものだ。やはり日々思考を止めていないからこそ、その境地に行きつくのだろう。
羽生前竜王はメディア側の質問に対しても、意図を瞬時に判断し、なおかつ普遍的に表現する。そして、言葉自体に深みがあるから心を打つ。
また著書やテレビ出演などでもスポーツや科学といった、様々な分野に興味を持っていることはよく知られているが、そこから将棋への関連性を見つけるのも羽生前竜王らしさだ。持ち時間が短い早指し戦に臨んでいる状態について聞かれた際に「短距離ダッシュを何度も繰り返している感覚です」と説明してくれたことがある。
こんなふうに真理を求めようとする哲学者のような姿も、大きな魅力の1つである。
幅広い見識が将棋にも生きる。
ある棋士から、こんな話を聞いたことがある。
「羽生さんが羽生さんたるゆえんは、将棋はもちろん、世の中の様々な事柄に興味を持っているところです。ご自身も年齢という壁を感じて、ほかの物事に触れることで何か吸収できないかと考えているのだと思います。実際、そういった生活をしているからこそ、今でも私たちが驚くような発想の一手を指せるのだと思います」
幅広い見識を持つことが将棋にも生きる。そんな風に日々、知性を高めてきたからこそ、羽生前竜王は誰もが知らない高みに挑み続けてきた。
羽生竜王がタイトルを失った瞬間、人々は“一時代の終わり”を感じたかもしれない。
それでも、再びタイトルホルダーとなり通算100期を達成すれば――。
数々のコメントを思い浮かべると、そのシナリオが現実になった際に羽生前竜王が口にする言葉が、より一層味わい深いものになるのではないか。