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オリヴェイラの練習は湘南よりキツイ。
闘う集団、レッズが走り始めた。
posted2018/05/15 11:30
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph by
J.LEAGUE
浦和レッズにオズワルド・オリヴェイラ監督が就任して、2週間が経った。
リーグとカップ戦が平日と週末に組まれる「15連戦」の真っただ中、“アウトレイジ”大槻毅暫定監督からバトンを受け取り、「試合でオリヴェイラ監督の意図や狙いを落とし込みながら、実戦のなかで選手たちも理解を深めている」(槙野智章)という。
就任直後に連敗を喫したが、その後は公式戦2勝1分1敗。敗れたリーグ13節の鹿島戦も選手たちの闘争心が伝わってくる充実の内容だった。
また5月9日のルヴァンカップ・名古屋戦ではオリヴェイラ監督が「鹿島時代に採用していた好きなシステム」という4バックが初めて採用された。
昨年7月のミハイロ・ペトロヴィッチ氏の解任から、堀孝史氏、大槻氏、そしてオリヴェイラ監督。浦和は10カ月の間に4人が指揮を執る、極めて異例の事態を招いている。
最大のライバルチームの黄金期を築いた指揮官の招聘には、議論が起きたのも事実だ。当初は、「『鹿島のような浦和』を目指すのか?」と首を傾げる声も聞かれた。
ただ、67歳の指揮官はこの短い期間で、浦和に欠けていた部分を補い、チーム内に新鮮な風を吹かせ、前向きな雰囲気をもたらしている。
興梠は意外な再会に本音もぽろり。
「まさか浦和でまた一緒にできるとは思わなかった。僕は鹿島時代、オリヴェイラ監督の就任後に試合に出られるようになったのでいいイメージがあります。ただミーティングが長くて、練習がきつい。うれしいけれど、そこは嫌かな(苦笑)」
鹿島時代にリーグ3連覇をともに成し遂げた興梠慎三は、そのように指揮官との再会について本音を明かす。
オリヴェイラ監督は指導者として、驚きのサクセスストーリーを歩んでいる。もともとはフィジカルコーチとして、ブラジルで評価を高めた。そして2000年、クラブ世界選手権直前に混乱が起きていたコリンチャンスの監督に抜擢されると、いきなり「世界一」に輝いた。49歳で監督としての人生が始まったのだ。
ブラジルの複数の名門クラブで指揮を執ったあと、2007年から'11年まで率いた鹿島では、リーグ3連覇('07~'09年)を達成。5年の間に国内主要6冠のタイトルを獲得した。
今回は7年ぶりのJリーグ復帰。フィジカルコーチ出身とあって、走り負けない、競り合いで絶対に当たり負けない、という点には変わらずこだわりを持つ。