マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
大阪桐蔭級の打線に熊本で出会う。
九州学院で育つ3つの異なる才能。
posted2018/04/26 16:30
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Masahiko Abe
このところ「高速バス」というやつにハマっている。
以前は移動といえば「鉄路」しか考えなかったが、いつからだろう、たぶん昨年の春だったか、やはり“センバツ終わり”で九州を流していた時、宮崎から熊本への移動が大変だとホテルの人に泣きを入れたら、「バスを使ったらよかでっしょ」と薦められた。そして、半信半疑で乗り込んだ南九州3時間半のバス旅。
山また山の絶景に目を奪われながら、あっという間に熊本に着いてしまった“あのとき”以来、移動というと、まず「高速バス」はどうなっているのか? そこから入っていくようになって、今回の小倉→熊本移動も当然「高速」となった。
バス会社が「九州産交」というのも泣かせる。
野球ファンなら、知らないとは言わせない。
往年の九州社会人野球の強豪である。フォークボールを武器に、阪神のエースとして一世を風靡した野田浩司は、「産交」のエースとして都市対抗で奮投し、ドラフト1位でプロへ進んだ。
正式には「九州産業交通」なのだが、地元では、親しみを込めて「産交」と呼ばれていて、熊本が震災に見舞われた時も、いち早く県民たちの足としてバス路線を立ち上げ、復興の血流となった。
1980年前後だったと思うが、林幸義というめちゃくちゃ上手いショートがいた。もったいなくも、阪神のドラフト指名を断わってまで産交のショートストップを頑張り通し、数年前まで母校・熊本工業高の監督として甲子園にも何度かチームを連れてきていた。
藤崎台球場へ着いてみると。
そんなこんなをつらつら考えながら、高速道を南へくだっていくと、春の九州は広がる畑の中に菜の花が美しい。いつもより1週間も早いソメイヨシノの「チェリーピンク」も見とれてしまうが、「菜の花イエロー」の凛とした鮮やかさには、思わず背すじが伸びる。生命力に満ちている。
朝、ホテルを出遅れて、復興たけなわの熊本城の脇を抜けて、あくせく歩いて藤崎台球場に着いた頃には、もうシートノックが始まっているはずの時間だった。
なのに、球場から声が聞こえない。遅れているのか……とスタンドに出てみると、もう内野ノックが始まっていた。