相撲春秋BACK NUMBER
角界ならではの教育的指導とは何か。
ある部屋で目にした「愛のゲンコツ」。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byShiro Miyake
posted2018/02/20 10:30
相撲の稽古は、想像を絶する激しさである。この光景が、全てを考えるための前提である。
心には「痛み」を感じてほしい。
この一発で、すべて終わり。
言ってみれば、絶妙なタイミングでのゲンコツでもあった。
頭と頭でぶつかり合い、血を流し、それこそ立ち合いの衝撃は約2トン近くの圧力を持ち、毎日、軽トラとぶつかっているほどの稽古を繰り返している屈強な力士たち。毎日のすり足で足の裏さえも硬く鍛えられ、画鋲を踏んでも痛感はないほどだ。
体の頑丈さが違い、私たち一般人と比較すれば、このゲンコツは蚊に刺されたようなものかもしれない。でも、心には「痛み」を感じてほしい。ゲンコツを食らわす兄弟子もまた、その手は痛い。
部屋を辞す帰り際、ベテランの“大兄弟子”と、序二段の彼について、今回の経緯について、いろいろと話してみた。大兄弟子は「序二段の彼の性格」についてよく理解し、 「序二段の彼の普段の生活ぶり」をよく観察しているのに私は驚く。
「祥子さん(筆者)はどう思いますか?」
「師匠に叱られるくらいなら、まだあなたたちに叱られる方がいいんだな、マシなんだなと思った。本場所の土俵に遅れて不戦敗、なんて師匠も笑われるしねぇ。そうならないように、みんなでどうにかフォローしたんだね。ここはやっぱり、普段、生活を共にしている兄弟子たちが、キッチリ教えてあげないといけないんだな、ともね。相撲って、何事も礼に始まり礼に終わる……周りのフォローに感謝する。いくら口べたな子でも、ちゃんとその気持ちを言葉に表さなきゃ周りに伝わらない。そこを指摘してあげてたんだね。しかし、根気よくというかさ、みんなでしつこく言ってたねぇ。聞いてるこっちは、せっかくのちゃんこがまずくなってしまったわよ(笑)」
「しつこく言わなきゃわからないんスよ、今の子は。ふーっ」
「でもあのゲンコツで終わったね。効いたかなぁ?」
「たぶん効いてないかな……。よほどのことじゃなきゃ、俺たちもしないですよ」
「あなたたち兄弟子も大変だねぇ……」
「まぁ、自分も若い頃は同じように迷惑掛けてたりね。今になってわかりますよ」
「わかった頃には引退、だったりするんだよねぇ」
「そうっスねぇ……」
翌日、叱られた序二段力士がふと気になり、何気なく部屋の前を通り、顔を出してみた。「ああ、アイツなら、今、○○さんと近くのラーメン屋に行ってますよ」
昨夜、ゲンコツを食らわせた兄弟子が彼を誘い出し、ラーメンを食べに行ったらしい。
繰り返され、これからも続いていく「男の世界」。常人には計り知れない、鍛え上げた男同士の絆の世界だ。「愛のゲンコツ」をもらった序二段力士も、いつか兄弟子になり、 後輩力士に気を揉み、ゲンコツを食らわす日が来るかもしれない。
いや、是非ともそんな日が来ることを、私は願う。
――
それでも「兄弟子の一発のゲンコツ」を、世間では「暴力」と呼ぶのだろう。土俵の外から声高に叫ぶ人たちは、殴られることもない。
痛みを感じるのは、日々、血と涙を流しながら、土俵で戦う力士たちだけだ。