相撲春秋BACK NUMBER
角界ならではの教育的指導とは何か。
ある部屋で目にした「愛のゲンコツ」。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byShiro Miyake
posted2018/02/20 10:30
相撲の稽古は、想像を絶する激しさである。この光景が、全てを考えるための前提である。
兄弟子に叱られていた序二段力士の思い出。
――
ある本場所初日の夕方、ちゃんこの時間。
たまたま某部屋を訪れて、ちゃんこをご馳走になった。力士たちが揃って鍋を囲むなか、ある若い序二段力士が、背中を丸めて小さくなっていた。
「お前なぁ、何か一言ないのか?」
「今回が初めてじゃないだろ? 台風が来るし、早め早めに準備していつもより早く場所(国技館)に行け、と言っただろ?」
「何年相撲やってんだよー。それじゃ新弟子にモノ言えないぞ?」
兄弟子たちに口々に叱られた序二段力士は、「はい、すみません……」と、消え入りそうな声で答え、うつむいていた。場の雰囲気は最悪。私は黙々とちゃんこを口に運ぶしかなく“心の中で”見守る。
そのうち「なぜ、彼が叱られているのか」が、だんだんと読めてきた。大事な初日だというのにのんびりしていた彼は、取組時間に遅れそうになってしまったらしい。土俵上で相撲を取れない=力士としての本分に関わる一大事だ。心配し、気を揉んだ兄弟子たちは、「台風でタクシーもなかなか捕まらないし、ここは(師匠専属の)マネージャーさんにヤツを車で送ってやってもらうよう、俺たちが頼もう」となったらしい。まだまだ、自分からマネージャーに頼めるような“顔”じゃない若い序二段力士の彼だから。そして彼は、無事に取組時間に間に合ったという。
その緊張感の無さももちろんのこと、 部屋に戻って来ても、彼からはお礼の一言もなかった――と兄弟子たちは怒っているのだった。
「まだ俺たちに礼は言わなくていいとしても、送ってもらったマネージャーさんには、『お陰さまで間に合いました。ありがとうございました』と言わなきゃいけないところだろ?」
なかでも弁が立つ兄弟子が、しつこいくらいに繰り返す。(もういいじゃないの。謝ってるんだし……)と内心、私が思った瞬間のこと。それまで黙っていて、普段からも大人しいはずの別の兄弟子が、おもむろに箸とどんぶりを置いて立ち上がる。つかつかと序二段力士の元に近寄った。
「ゴツン!」
鈍い音が響く。
頭に一発、ゲンコツを食らわした。そしてこのゲンコツがまるで合図となったかのように、その後は、口うるさい兄弟子たちが一斉に口を閉じた。