【NSBC補講I】 池田純のスポーツビジネス補講BACK NUMBER

日本シリーズの価値を実感した6日間。
思い出す、横浜スタジアム買収の苦心。 

text by

池田純

池田純Jun Ikeda

PROFILE

photograph byNaoya Sanuki

posted2017/11/12 11:30

日本シリーズの価値を実感した6日間。思い出す、横浜スタジアム買収の苦心。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

ヤフオクドームで開催された日本シリーズ第1、2、6戦目は、横浜スタジアムを無料解放してパブリックビューイングを行っていた。

球場買収は、まず不可能と思われていたのだが……。

 横浜スタジアムが建設されたのは1978年。横浜市だけでは資金が足りず、堤義明氏の支援と市民から株主を募ることで、ようやく第三セクター法人「株式会社横浜スタジアム」が設立されたのです。

 市民の魂も込められた球場でした。

 横浜スタジアム社長だった鶴岡博さんに私が初めてお会いしたのは、横浜中華街の中華料理屋でした。

 その時、球場の買収について「だめだ」と一蹴された覚えがあります。

 では、なぜ買収が実現したか――。

 それは、「プロ野球がある街、横浜」というスローガンのもと、野球を通して街を盛り上げる努力をし続けたことを認めてもらえたからだと思っています。横浜の人が身につけたいと感じるようなグッズの作成、野球をつまみにビールを飲みやすい雰囲気作り、ベイスターズが会話の絆になるようなイベントの企画などを通して、地域密着を目指しました。

スタンドを青一色に染めよう――という願い。

 私が社長に就任して4年目までは、横浜においても巨人ファンの割合が高かった。しかし、ベイスターズのキャップ72万個を神奈川中の子どもたちに配布するなど、地道な活動を続けたことで、5年目でようやく逆転。

 今年の日本シリーズのスタンドは青一色だったので、さらに増えているのではないでしょうか。

 スタンドを「青一色に染めよう」と躍起になっていた数年前を、相当な昔のように思い出します。

【次ページ】 「お前だから球場を売ってやったんだよ」

BACK 1 2 3 NEXT
横浜DeNAベイスターズ
福岡ソフトバンクホークス
堤義明

プロ野球の前後の記事

ページトップ