書店員のスポーツ本探訪BACK NUMBER
剣道における一対一の空気の特別さ。
一瞬の時間と空間を切り取る醍醐味。
text by
今井麻夕美Mayumi Imai
photograph byWataru Sato
posted2017/01/05 08:00
筆者の藤沢周は芥川賞作家であり、同時に法政大学の教授でもあるという変り種だ。
ラップと剣道用語が奇妙に韻を生み出していく。
一方、剣道なんてと思っていた融だったが、矢田部の動きが頭を去らない。そして剣道の用語に興味を持つ。ラップ命の融は、iPodにボブ・ディランからヒルクライム、平家物語の朗読までも入れていて、リリック作りのため言葉を採集していたのだった。道場で耳にした言葉たち。ラップの韻の参考に、読みとローマ字表記も書く。
「三殺法 サンサッポウ Sansappo」
「観見 カンケン kanken」
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「三殺法」は、相手の剣と技と気を殺す方法。「観見」は全体を広く、心で捉えることで、宮本武蔵の『五輪書』にある言葉だ。融は思う。
〈ごつごつとした輪郭を持つ言葉であるのに、形を表わすものではない。むしろ無形のものが言葉になって世界につなぎ留められている〉
剣道における時と空間を言葉で表現する。
この小説自体、剣道における時と空間をすみずみまで言葉で写し取っている。
矢田部親子の師であり、高校に隣接する禅寺の僧侶でもある光邑禅師が打った芝居に乗り、結果、剣道にハマっていく融。ふたたび矢田部と対する場面。
〈融は細く息を吸いながら、張り詰めて暴発しそうな空気を自分の側に引き寄せるようにして竹刀をゆっくりと上げた。虎が後ろ足で立ち上がり、敵を見下ろす気持ちだ。溜める。相手の気も、力も、自分の中に溜め込む。そして、振り抜く!〉
心の動きが身体につながり、力として表現する、その一連の動作。相手の剣に呼応して、自らも予測し得なかった剣の軌跡。そして目には見えない気の交錯が、対峙する2人を包み、一瞬しか存在しない世界を作る。
その刹那が、限りなく豊かなイメージと言葉で表現されている。『武曲』を読んで、剣道がこんなにもスリリングで、官能の気配すら漂うものだとはじめて知った。「勝つこと」はすなわち「生きること」なのだ。