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柔道・中村美里が進んだ“回り道”。
ロンドン初戦敗退後の苦難を風格に。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAFLO

posted2016/07/10 08:00

柔道・中村美里が進んだ“回り道”。ロンドン初戦敗退後の苦難を風格に。<Number Web> photograph by AFLO

中村は5月に行なわれたリオの前哨戦、ワールドマスターズでも優勝。好調を維持している。

ロンドンではまさかの再戦によって初戦敗退。

 迎えた2012年のロンドン五輪は、積み上げた実績から誰もが「本命」とみなしていた。北京で手にすることのできなかった金メダルを獲るための場であるはずだった。

 ところが、思いもよらぬ展開が待ち受けていた。中村は自身の初戦となった2回戦で、北京で敗れたアンとの再戦となったのである。ふだん、アンが国際大会に出ないためノーシードであったことが生んだ組み合わせであり、事実上の決勝戦と言ってよかった。

 しかもアンは1回戦からの登場で、体を一度あたためている。その違いは如実に現れた。試合開始早々、技ありを取られてしまう。中村は猛攻で反撃を試みるが、挽回はならなかった。誰も思いもしなかった、初戦での敗退だった。アンは金メダルを手にし、中村はメダルなしで終えた。

 思い描いていた青写真は崩れ去った。

左膝のリハビリ生活で感じた、恵まれた環境。

 同年秋には、古傷の左膝前十字靱帯の手術に踏み切り、長期休養を余儀なくされる。

 2013年11月の講道館杯で復帰し優勝したものの、再び左膝を傷めて2度目の手術を行なった。

 はた目には、10代からの順調そのものの足取りは、ロンドンでの挫折から暗転したかのように思えた。

 だが、そうではなかった。

 国立スポーツ科学センターでのリハビリ生活は、同じようにリハビリに励む選手と触れ合う時間となった。自分一人ではないことが心強くもあり、励みにもなった。

 その生活の中では他競技の事情も聞く機会もあった。中には、海外遠征に自費を投じざるを得ない競技があることも知ったという。

 自分は恵まれていると実感した。

 前を向いて進んでいこうと思えた。

【次ページ】 五輪イヤーに見せつけている圧倒的な強さ。

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