サムライブルーの原材料BACK NUMBER
川島永嗣が戻ってきた「特別な場所」。
9カ月ぶりの代表で見せた初々しさ。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2016/04/11 10:40
日本代表の輪の中に戻ってきた川島永嗣。再び長い正守護神争いの日々が始まる。
「こういう経験をしてよかった、という話はしたくない」
スタンダール・リエージュを退団した際、プレー機会を優先して欧州以外の地や日本を選択肢に入れれば、移籍先はもっと早く決まっていたはずである。だが彼はそうしなかった。欧州での自身の「挑戦」と、日本が世界に勝つ「挑戦」とがイコールで結ばれていると信じているからこそ、欧州へのこだわりを捨てなかったのだろう。スコットランドからのし上がってやるという、決意をこめて。
シリア戦に向けたトレーニング後のミックスゾーン(取材エリア)で、一つだけ聞きたいことがあった。
約半年間に及んだ移籍先探しの経験は、一体自分に何をもたらしたのか。
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彼は言った。
「一言で表すのは難しいし、ただこういう経験をしたから結果的に良かったです、という話は正直したくない。でも本当にいろんなことを考えさせられました。サッカーのキャリアのこと、選手としてどうあるべきかということ……。自分ともう1度しっかり向き合えたのは自分のキャリアにとってすごく意味があったのかなとは思います」
言葉の一つひとつが、苦しみの重さを表しているように思えた。
松井大輔と交わした会話。
移籍先が決まらないなか、川島を心配して連絡を取ろうとしたサッカー仲間は少なくない。その一人に、彼が「ダイちゃん」と慕う松井大輔がいた。
海外のクラブを渡り歩いてきた松井も、2013年夏にブルガリアのスラヴィア・ソフィアを退団した後に「あちこちと」練習参加した経験がある(7月にポーランドのレヒア・グダニスクと契約し、開幕戦で2ゴールを挙げるなど活躍する)。
「ル・マンの太陽」と呼ばれフランスで一定の地位を築いた一方で、長い海外生活の中ではケガに悩まされたり、不遇な扱いを受ける陽の当たらない日々も送ってきた。だからこそ川島が置かれた境遇の苦しみは、よく分かる。
「まあ今回はちょっと苦労したね、という話をしただけです。でもそういう苦労をしたほうが、何かと将来にプラスになるとは思います」
では松井自身は、どうやってそれを乗り越えてきたのか。そう問うと、彼は言った。
「谷の時期があっても別にいいんじゃないですか。ずっと成功していたら、谷があったときに這い上がれなくなるかもしれない。苦労した分、何か得るものがあると思うから。そういうとき僕はひたすらもがいていましたね。だって、やるしかないじゃないですか。いつかは(いいときが)来るだろう、いつかは、いつかはって思ってやっていました」
無論、松井が川島に対して何かアドバイスを送ったわけでも、川島がアドバイスを求めたわけでもない。言葉をかわすだけで、十分だった。