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“美学と矜持の男”の引退を惜しむ。
藤田伸二、「番長」の裏にある素顔。 

text by

島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

PROFILE

photograph byYuji Takahashi

posted2015/09/19 10:40

“美学と矜持の男”の引退を惜しむ。藤田伸二、「番長」の裏にある素顔。<Number Web> photograph by Yuji Takahashi

ローレルゲレイロとともに制した2009年のスプリンターズS。この年は藤田が100勝を記録した最後の年でもある。

兄貴分と慕った「元祖天才」田原成貴。

 彼は、騎手時代「元祖天才」と呼ばれた田原成貴元騎手・調教師を兄貴分として慕っていた。何人かの騎手たちとの座談会でテーブルを囲んだとき、後輩たちが先に帰っても、彼だけは最後まで田原さんと一緒にいた。

 田原厩舎のフサイチゼノンで'00年の弥生賞を勝ち、調教師としての初重賞をプレゼントした騎乗も鮮やかだった。テレビの中継が終わっても勝利騎手インタビューでしゃべりつづけるほど、彼も興奮していた。

 その年のオークスを、彼はシルクプリマドンナで制した。そのレースには田原厩舎のフサイチユーキャンも出ていたのだが、15着に敗れていた。少し控えめな笑みを浮かべて差し出された右手を握り返したのが、彼と私の最後の握手となった。

 田原さんが競馬界を去ってから、藤田と私も自然と疎遠になり、ほとんど賀状のやりとりをするだけの付き合いになった。

彼にしかできない形での発信を楽しみにしたい。

 そんな彼から、一昨年の8月、転居を知らせる葉書が来た。転居先は札幌になっていた。栗東での調教や、京都や東京など中央場所での騎乗には不便なことこの上ないのでどういうことかと思っていたのだが、そのころから競馬サークルとある程度の距離を置こうとしていたのかもしれない。

 引退後どうするかは、まだ発表していないようだ。

 親しい関係者にはあらかじめ知らせていたとはいえ、大多数にとっては「電撃引退」だったので、あれほどの成績を残した騎手なのに、惜しんだり、残念がったりする間も与えられなかった感じがする。

 今後また、彼にしかできない形で、何かを発信してくれる日が来ると、ひとりのファンとして嬉しく思う。

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藤田伸二
フサイチコンコルド

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