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“美学と矜持の男”の引退を惜しむ。
藤田伸二、「番長」の裏にある素顔。 

text by

島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

PROFILE

photograph byYuji Takahashi

posted2015/09/19 10:40

“美学と矜持の男”の引退を惜しむ。藤田伸二、「番長」の裏にある素顔。<Number Web> photograph by Yuji Takahashi

ローレルゲレイロとともに制した2009年のスプリンターズS。この年は藤田が100勝を記録した最後の年でもある。

筆者が初めて藤田と話したのは、21歳の頃。

 私が藤田と初めて話したのは、'93年の暮れから'94年の年明けにかけて、武豊がアメリカ西海岸のサンタアニタパーク競馬場に遠征し、21歳だった藤田が同行したときだった。

 ロサンゼルス国際空港からレンタカーでホテルに向かう途中、スーパーに寄った。路上にクルマを停め、運転席で待っていた私に、藤田が「島田さん、これ使ってください」と、ドライヤーと化粧品などが入った袋を差し出した。私がドライヤーを持ってくるのを忘れたとこぼしていたのを聞いて、わざわざ買ってきてくれたのだ。

 その遠征中、私は彼を「藤田さん」と呼んでいたのだが、彼のほうから「伸二と呼んでください」と言ってくれた。

 このように、もともとは、目上の人間を立てる、体育会系の、礼儀正しく、優しい男だ。やがて身につけた「番長」の顔は、彼なりの処世術というか、ときにはコース上で他者を支配しなければならない騎手という職業に必要なものだったのだろう。

 知り合ったばかりのころはあまり酒が強くなく、それが悔しかったのか、ビールにトマトジュースを混ぜて飲み、少しずつビールの割合を多くして鍛えていた。

 何冊も著書を出したり、雑誌にエッセイを連載したりしていたが、口述筆記やゴーストライターを使うのではなく、自分で書いていた。私の知る限りでは、電子辞書を片手に手書きだった。それも物凄く綺麗な字で。

 アルコール類のことを「やんちゃ水」と書いたり、「よろしいやん」という口癖を流行らせたりといった豊かな言語感覚も、発信力の高さにつながっていた。

武豊「ひとりだけ悠然と大外を回って勝ったりする」

 騎手としての技量の高さは、その成績が物語っている。20代のころ、武が次のように評したことがあった。

「ほかのすべての騎手が少しでも馬場のいい内にこだわっているときに、ひとりだけ悠然と大外を回って勝ったりする」

 枠にとらわれない奔放さ、人の通らない道を行く度胸。

【次ページ】 馬を、そして馬との関係をとても大切にした。

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#フサイチコンコルド

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