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稲葉篤紀が球場に起こす、ある現象。
野球ファンに、記者に愛された男。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/09/16 10:40

稲葉篤紀が球場に起こす、ある現象。野球ファンに、記者に愛された男。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

1995年のプロ入り1年目から一軍で出場し、今年で20年目となる稲葉篤紀。移籍組ながら、選手からもファンからも「リーダー」と認められた頼れる男だ。

稲葉に助けられた経験を持つ記者は多いはずだ。

 ダルビッシュ有のインタビューが取れず、関係者の証言のみでダルビッシュについて書かなければならなかったときも、やはり稲葉の存在が大きかった。それもやはり試合日の練習後、稲葉が丁寧に語ってくれたことで無事、記事化することができた。

 これはものすごく個人的なことなのだが、北海道発祥のスポーツである雪合戦の専門誌『雪合戦マガジン』という雑誌の制作に携わっていた頃、稲葉に巻頭インタビューを頼んだことがある。そのときもマイナーな雑誌で失礼かと思ったのだが、「僕でいいのなら」と快く引き受けてくれた。

 おそらく、このように稲葉に何度となく助けられた経験を持つ記者は、他にもたくさんいるのではないか。

今球場で起きている現象は、稲葉の野球人生の結晶。

 そしてその姿勢は、ファンに対してもっとも顕著だった。ファンに手を振ったり、サインに応じる姿を、いちばんよく見かけるのも稲葉だ。

 かつてこんな話をしてくれたことがある。

「日本ハムに移籍したとき、新庄(剛志)さんに『手ぐらい振ってやれよ』って言われて、すごい驚いた記憶がある。ヤクルト時代は、そんなことできるような雰囲気ではなかったですからね。ファンサービスを大事にするようになったのは新庄さんの影響がすごく大きい。日本ハムは北海道に移ってから、とにかくファンを大事にしてきました。

 試合中に手を振っても、絶対に怒られなかったですから。ファンが喜んでくれるのならいい、と。そのお陰で、北海道はかつて巨人ファンばっかりだったんですけど、今では巨人戦でも日ハムファンの方が多くなった。そんなの、昔は考えられないことだったんですから」

 稲葉は、決して派手なパフォーマンスをしてきたわけではない。メディアへの対応も含め、小さなファンサービスを積み重ねてきただけだ。しかしそれが年数を経て、日本ハムファンだけでなく、日本中の野球ファンに伝わっていたのだ。

 稲葉は9月2日の引退会見で、最後の1カ月をどう過ごしたいかと質問され、こう答えた。

「僕はコツコツやってきた人間ですので、残り試合も、何の変わりもなくコツコツとやっていきたい」

 今、球場で起きている現象は、そんな稲葉の野球人生の結晶のように思える。

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