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国立競技場「最後の日」の感傷。
ゼーラー、木村和司、今泉清――。 

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2014/05/29 10:40

国立競技場「最後の日」の感傷。ゼーラー、木村和司、今泉清――。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

「国立競技場」の正式名称は、国立霞ヶ丘陸上競技場。現在の競技場は1958年に竣工し、1964年の東京五輪前にスタンドが増築された。新競技場は2019年3月の完成を予定している。

早稲田の今泉清が駆け抜け、中畑清が叫んだ日。

 '87年11月1日、ラグビーのニュージーランド代表オールブラックスが初来日する。ジャパンとの初戦を74-0と圧倒、1週間後の国立での第2戦、勝つとわかった試合をどう緊張させるか。ニュージーランドの知将、ジョン・ハート監督はキックオフ前のロッカー室でこう話した。「23年前、このスタジアムで私たちの国のピーター・スネルが陸上の800mと1500mで金メダルを獲得した。人々はゴールドしか覚えていない。シルバーは忘れられる。きょう、君たちはゴールドであれ」。結果は106-4だった。

 '90年12月2日、人気絶頂のラグビー早明戦。終了までワンプレー、国立の芝を早稲田の今泉清がインゴールまで駆け抜けた。劇的トライ(G成功で同点へ)。自陣から独走体勢に入った瞬間、どこかの新聞の観戦記のため記者席にいた元巨人軍、引退後1年の中畑清さんが、ウソでなく、誰よりも素早く立ち上がった。そして誰よりも大声で叫ぶ。「うぉーっ」。男、キヨシ! たまたま近くに座っていて目撃した。「やはりプロ野球の選手は並ではない」。素直に感じた。

なぜか他のスタジアムより記憶は明確なのだ。

 国立競技場は、陸上競技のトラックがあるので、フットボール観戦に最適ではない。グラウンドが離れている分、自分の腰かけた席の周辺に意識は引き寄せられる。あの時、私は、あそこにいた。なぜか他のスタジアムより記憶は明確なのだ。思い込みだろうか。

 最後に。先日、ラグビーの往時の名手、松尾雄治さんとラジオ番組の収録をご一緒した。明朗にして明晰な元司令塔は以下の逸話を教えてくれた。

 新日鐵釜石の黄金期、遠く東北は三陸から汽車を乗り継ぎ「町の人たち」が国立競技場での日本選手権決勝へやってくる。「そしたらさ。みんな中央線に乗ってクニタチ行っちゃったんだよ」。新聞には「きょう決勝(国立)」の見出しがあった。

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