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国立競技場「最後の日」の感傷。
ゼーラー、木村和司、今泉清――。 

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2014/05/29 10:40

国立競技場「最後の日」の感傷。ゼーラー、木村和司、今泉清――。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

「国立競技場」の正式名称は、国立霞ヶ丘陸上競技場。現在の競技場は1958年に竣工し、1964年の東京五輪前にスタンドが増築された。新競技場は2019年3月の完成を予定している。

 新国立競技場は、あのデザインと巨大サイズのまま本当に建つのか。景観および歴史、文化の観点で、各分野のエキスパートからの「異論」はしきりに発信されている。ここはスポーツの受益者のみならず、広く、識者、市民をまじえた熟考の機会と時間があってもよい。

 ただ、いずれにせよ、2019年のラグビーのワールドカップ(W杯)、その翌年の東京五輪を視野に「このまま」ということはないので、現在の国立競技場は改築される。

 スポーツにおける記憶とはしばしばスタジアムの思い出だ。先の5月25日、「公式戦最後」と銘打たれたラグビーの日本vs.香港戦の記者席で、わが感傷をノートに書きつけてみた。

 なぜかはわからない。最初に思い浮かんだのは、ウーヴェ・ゼーラーの禿頭のヘディングである。1972年1月9日、西ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVと日本代表が国立で対戦。小学校の課外活動でサッカーに燃え、『サッカーマガジン』愛読者だったから「西ドイツ代表の名選手がくる」と楽しみだった。

 W杯4大会出場の英雄はずんぐりとしていた。メイン側の左の上のほうの席から見つめたが、そのころ35歳、全盛は過ぎ、旅の疲れもあったか、身上のヘディングは不発だった。それでも「いつかゼーラーが頭でゴールを決めるはず」とずっと姿を追って、そんな自分の純情が懐かしい。3-2でハンブルガーが勝った。

木村和司の伝説のFKの試合、胸中は不安ばかりだった。

 サッカーといえば、'85年10月26日のW杯最終予選、薄曇りの国立、木村和司の伝説のFKは、ボールをプレースする背を右斜め後ろにとらえる角度より凝視した。個人的にも運動部の記者になる少し前のこと、あれがチケットを懸命に手に入れて「お客さん」としてスポーツを楽しんだ最後だ。

 前・Jリーグ紀にあって、最もW杯へ迫ったはずの午後、白状すれば試合を通して「たぶん負けるな」の不安は胸の内に消えなかった。メキシコ五輪銅メダルのあとにサッカー少年となって、なんだか頼りない日本代表ばかり見てきたせいだ。韓国はすでに国内のプロ化に踏み切っていた。1-2。「サッカー国力」の差を精一杯に縮めて、なお届かぬ結末だった。

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