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マンデラ氏に捧げる感謝と哀悼。
ゴルフ界に残る伝説のスピーチとは。 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byREUTERS/AFLO

posted2013/12/19 10:30

マンデラ氏に捧げる感謝と哀悼。ゴルフ界に残る伝説のスピーチとは。<Number Web> photograph by REUTERS/AFLO

1998年ミリオンダラー・ゴルフチャレンジ(現・ネッドバンクゴルフチャレンジ)に出場するため南アフリカを訪れたウッズは、マンデラ氏の自宅を訪問した。

2003年、マンデラ氏が残した伝説的なスピーチとは。

 マンデラ氏はプレー経験はほとんど無かったそうだが、2003年南アフリカ南西部・ジョージで開催された、世界選抜と米国選抜の対抗戦「ザ・プレジデンツカップ」では印象的なスピーチを残している。

 開催国の首相が、スピーチや主催の晩餐会を行うのは大会の慣例となっているが、マンデラ氏の「南アフリカには世界中の人々には言えないような歴史があった。しかしそれを解放してきたのはスポーツの力だった」という言葉は、会場のザ・リンクス・アットファンコートホテル&CCに割れんばかりの歓声を呼んだ。

 同年の大会には、残念ながら選抜された日本人選手はいなかった。しかし当時の日本ゴルフツアー機構(JGTO)の会長だった故・島田幸作氏と、現在JGTOで専務理事を務める山中博史氏は競技委員として参加していた。

 山中氏は当時を「なにせすごい人気で……。皆がそのスピーチに感動して『すごい方だなあ』なんて話していたんですよ」と振り返る。「ワールドカップやプレジデンツカップを積極的に(南アに)招致することで、スポーツの力で国を解放することに力を注がれた」。

 ゴルフの世界においても、マンデラ氏はアイコンとして大きな役割を担ったのである。

解放者・マンデラ氏のメッセージはゴルフ界をよりよくするか。

 紳士のスポーツと言われるゴルフだが、そこには少なからず影を落とす歴史があり、人種差別はその問題のひとつ。

 ウッズがプロ転向し、ナイキゴルフと契約した'96年当時、テレビCMで「この国には肌の色のせいで、僕がプレーできないコースがある。僕を受け入れる準備はできているの?」と痛烈なメッセージを発したのは有名。現在でもマスターズのチャンピオンズディナーにおけるファジー・ゼラーやセルヒオ・ガルシアによる、ウッズへの“フライドチキン発言”など、人種差別騒動は起こっている。

 それは海外で戦う石川遼や松山英樹にとっても無関係な話ではなく、米ツアーで日本人選手たちの背中を追って歩いていると、外国人ギャラリーから「イエロー」と声が飛ぶことがある。昨年、アリゾナ州フェニックスの試合では、酒に酔った若いギャラリー3人が“暴言”を吐いて、警備員にしょっ引いて行かれるシーンを目にした。

 解放者・マンデラ氏がスポーツを通じて残したメッセージが、ゴルフ界をよりよいものに変えてくれることを願うばかりだ。

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