ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
マンデラ氏に捧げる感謝と哀悼。
ゴルフ界に残る伝説のスピーチとは。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byREUTERS/AFLO
posted2013/12/19 10:30
1998年ミリオンダラー・ゴルフチャレンジ(現・ネッドバンクゴルフチャレンジ)に出場するため南アフリカを訪れたウッズは、マンデラ氏の自宅を訪問した。
プロゴルファーたちが発するソーシャルメディアはいつも賑やかだが、その日ばかりは趣が違っていた。
12月5日。南アフリカの人種隔離(アパルトヘイト)の撤廃運動に尽力し、ノーベル平和賞を受賞した南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラ氏が95歳で逝去した。
多くの選手が哀悼の意を示す中、ツイッターでの“物言い”が度々物議を醸してきたイアン・ポールターも「本当に悲しいニュース。安らかにお休みください。多大な影響を与えた方だった」と即座に反応。韓国系ニュージーランド人で2カ月前にプロ転向、既に米女子ツアー2勝を誇る16歳のリディア・コも「彼は真のリーダーでした」と寄せた。
ゲーリー・プレーヤー、グレッグ・ノーマン……往年の名選手たちも続々と感謝の言葉を並べた。そして中でも、周囲の関心を惹きつけたのがタイガー・ウッズだった。
米国で自身がホストを務めるチャリティマッチに参戦していたウッズは「ミスター・マンデラはずっと心の中にいる」とコメント。15年前、南アフリカを訪れた際に亡き父・アールとともにマンデラ氏の自宅に招かれ、ランチをともにしたエピソードを披露した。そして当時を思い起こし、マンデラ氏が持つ“オーラ”に衝撃を受けたと明かし「僕の人生の中で最も影響を受けた時間の一つだった」と語ったのである。
黒人だけの自主的なツアーを支援したマンデラ氏。
奇しくも元大統領が亡くなった翌週、ダーバンでは欧州ツアー競技、ネルソン・マンデラ選手権が開催される予定だった。そこで日曜日の国葬に合わせ、急きょ開幕を1日前倒し、競技を土曜日に終了させるという異例の措置がとられた。
27年におよぶ獄中生活の間も黒人解放を訴え続け、ラグビーやサッカーなど各スポーツ界に影響を与えた元大統領。それはゴルフも例外ではなかった。
居住地域からバスやトイレ……多くが人種によって差別されたアパルトヘイト時代。ゴルフは、プレーするのは白人、キャディをするのは黒人という構図がアフリカでも“通説”だった。しかし南アフリカには当時、普段はキャディをしていた黒人だけで形成された自主的なゴルフツアーがあった。
そのツアーを施設面などで支援したのは、メジャー通算9勝、グランドスラマーのゲーリー・プレーヤーだった。“南アの黒豹”の異名を取り、ゴルフを通じて差別撤廃を訴えてきた。そしてマンデラ氏は、時に政治的圧力を加えられかねない、そのプレーヤーの強力な後ろ盾だったという。