ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
史上初3階級制覇と言うけれど……。
亀田興毅を手放しで祝福できぬ理由。
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byYusuke Nakanishi/AFLO
posted2010/12/27 11:45
2月に引退し、10月に突如復帰していた31歳のムニョス。
奇しくもランダエタと同じベネズエラ人のムニョスは2002年3月(もう9年近く前だ)、セレス小林に勝利して初めて世界タイトルを獲得した日本でも馴染みの深いボクサーである。セレスに勝った当時の戦績は22戦全勝全KOで、戦績に違わぬ強打者だった。空振りをしただけで日本武道館がどよめくほどの迫力があり、セレスから5度もダウンを奪った姿は我々に強烈なインパクトを与えた。
その後、足掛け7年にわたって日本で6度のファイトをしたムニョスは、少しずつ衰えゆく姿も我々の目の前にさらした。'08年5月を最後にタイトルマッチ戦線から後退すると、今年の2月には引退を表明。ところが10月に突如復帰して判定勝利を収めると、最初に興毅の対戦相手とされていたロレンソ・パーラの代役として、急きょ3週間前に決定戦への出場が決まったのである。
これでムニョスのパフォーマンスに期待しろと言われても無理だろう。
戦略的なマッチメークが、すなわち「悪」ではない。
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実際にリングに上がった31歳の衰えは顕著だった。動きにキレはなく、強いブローを打つと下半身がついていかず、その肉体は力なく流れた。序盤こそ気力で攻勢の場面も作ってみせたが、中盤から息切れすると、24歳と若い興毅のスピードについていけず、徐々にその差は開いた。最終回にダウンを喫しながらKO負けだけは拒み、元王者としてのプライドを見せるのが精いっぱいだった。
試合後、'08年1月にムニョスと対戦して判定で敗れた元世界王者の川嶋勝重に電話を入れた。かつて死闘を繰り広げたムニョスの衰えた姿に肩を落としているかと思いきや、その声は意外にも明るかった。
「特にがっかりしたということはないですね。一度引退したと聞いてますし。ある程度予想していたという感じです」
プロボクシングは興行の世界であり、マッチメークにはいつの時代も戦略が伴う。不得意と思われるタイプのチャンピオンがいれば、その選手が負けるまで待つという選択肢が存在する。タイプは合いそうだけれど金銭的に折り合わずに挑戦を見送るケースもある。1階級下のチャンピオンが組みしやすいとみれば、減量苦を覚悟であえてチャレンジするケースもある。だから対戦相手を選ぶことが、すなわち悪というわけではない。