野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
これぞ男だ! 涙なしでは読めない、
プロ野球「引退の言葉」傑作選2010。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2010/12/11 08:00
「ロッテ・オリオンズ」時代のユニフォームを着たことがある、川崎球場時代を知る最後の選手だった堀。「(昔は)弱いチームで、優勝したいなど口にできなかった。2005年の優勝は一生忘れない」
引退の言葉は、野球人生を総括する遺言である。
さて、まったくの手前味噌で甚だ恐縮なのだが、先日、プロ野球選手の引退時の言葉を集めた本を出させていただいた。いや、まったく宣伝する気はこれっぽっちもないのだが……えー、そもそも、この本を書いた動機というのも、毎年毎年、プロ野球選手の「引退の言葉」というものにどうしようもなく心を揺さぶられたからである。プロ野球選手がその人生のすべてともいえる野球を手放す時、その言葉には、自身の野球人生を総括する遺言とも言うべき思いがものの見事に凝縮されている。
たとえば、今年引退したソフトバンクの村松有人の引退会見での言葉。
「日生球場で生卵をぶつけられた時は本当に悔しかった。あの悔しさをぶつけようとここまでやってきた」
弱い頃のダイエーホークスでの苦労と、悔しさを糧に先頭打者としてチームを引っ張り、現在のホークスの土台を築いた村松の達成感が偲ばれるではないか。
たとえば、同じく今年引退した巨人・大道典嘉の引退会見。
「代打というのはとても難しいポジション。始めに出れば4打席はもらえるが、代打には1打席しかない。だから、ヒットを打てば4倍の喜びがあった。『代打・大道』とコールされたときの歓声は、今思い出しただけでも鳥肌が立つ」
なんとも。代打を誇りにし、その野球人生をまっとうしきった大道の野球観が窺えよう。
阪神・矢野燿大の引退会見の言葉などは、その胸の内を思えば涙が止まらない。
「(今年1年は)本当はマスクをかぶって、勝利の瞬間に球児と喜びあって…っていう自分でいたいと思っていました。でもチームのためにできることを考えながら、やらせてもらいました」
もう、なんていうか……男である。
古巣と縁を切った佐伯は「千万人といえども我往かん」。
これら“男琴線”をビンビンに振幅させる言葉は、何も引退する選手だけに限ったものではない。在籍する球団をクビとなり、新天地で決意を新たにする者、現役を続けるべく現在も道を模索する者。それらギリギリの境遇に置かれた選手たちの言葉にも、彼らの野球観、人生観、プライドみたいなものが滲み出ていて実に味わい深い。
果たして、男が岐路に立たされた時、どんな選択をし、どんな言葉を放ったのか。今オフ、印象的だった選手の言葉を元に妄想してみましょう。
「千万人といえども我往かん」
これは、横浜ベイスターズを退団した佐伯貴弘が、中日ドラゴンズへの入団会見で座右の銘としてあげた孟子の言葉である。その意味は「自身が間違いないと思えば、敵が千万人いようとも立ち向かっていく」というもの。一部報道によると、横浜から絶縁とも取れる戦力外通告を受けたとされる佐伯の不退転の決意がこの言葉から滲み出ている。見返してやれ、佐伯!