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「落合博満とトレード寸前だった」巨人が“優しすぎる”右腕を手放さなかった39年前の舞台裏「斎藤は出せない!」“平成の大エース”の覚醒前夜
posted2025/05/02 17:03

「平成の大エース」と言えばこの人
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Kiichi Matsumoto
「人生は他人によって動かされる。人生とは他動的やけど、それも悪くないよ」
1992年に1年だけ巨人で打撃総合コーチをしていた中西太は、よくこんなことを選手たちに説いていた。
斎藤雅樹もそんな中西の話を聞いた選手の一人だったが、斎藤の投手人生はまさに「他動的」そのものだったかもしれない。
「他動的」な野球人生
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藤田元司の手によりサイドスローに転向して才能を開花させ、王貞治の厳しい起用法で自信を失いかけ野手転向まで思い詰めたが、須藤豊に投手一本で生きていくことを決断させられた。
そして86年に始まった低迷の3年間を抜け出すきっかけも、また他動的だった。
89年、王に代わって恩師の藤田が2度目の巨人監督に復帰したのである。
「王さんが監督の頃も毎年、キャンプ、オープン戦では先発でした。肩の出来も早いしオープン戦の開幕投手はいつも僕。でも、開幕間近になると、最後は一軍に残ってもリリーフ要員になっているんですね。で、89年の藤田さんのときもそんな感じで、自分では『また開幕したらリリーフだろうな』と思っていた。そうしたらいきなり開幕2戦目の先発を言い渡されたんです」
藤田は先発投手は完投を目指すことを義務付け、この年の巨人は130試合で69完投と、半分以上の試合を1人の投手で賄う驚異的な完投率を残している。斎藤も結果的にはこの89年に伝説の11連続完投勝利を達成する訳だが、2戦目のヤクルト戦の先発を告げられたときには、不安の虫に苛まれていた。
「優しすぎる」右腕
「先発は嬉しかったけど、それより何回までもつのかっていうことの方が心配でした。少なくとも完投近くって期待されちゃうと『うわあ大丈夫かな』って……。最初はずっとそんな感じでしたね」
それでもこの試合で斎藤は3失点したが、藤田の期待通りに8回まで投げきり、チームも9回サヨナラで4対3と勝利。開幕連勝の好スタートを切った。
目立ちたがりが多い投手族としては珍しい気弱さ、優しさが、斎藤雅樹という投手の成長を阻んできたという声は多かった。そんな斎藤の背中をいつも押してくれたのが、藤田だった。11連続完投勝利のスタートとなった5月10日の大洋戦でも、5対1と4点リードの8回に無死満塁のピンチを招くと、斎藤の弱気の虫が頭をもたげてきた。そこでお尻を叩いたのも藤田だった。
「あの時も頭の中には完投の“か”の字もなくて、とにかく勝ち星が欲しいというのが正直な気持ちだったんです。だからピンチになって僕がこのまま投げるより、リリーフに交代した方がいいと(笑)」
そんな気持ちでベンチを見ると藤田がマウンドにやってきて、こう叱咤した。
「自分のケツは自分で拭け!」