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僕は楽天イーグルスの
「初代応援団員」だった。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph byTomohiro Okano

posted2013/09/26 10:30

僕は楽天イーグルスの「初代応援団員」だった。<Number Web> photograph by Tomohiro Okano

懸命に声を張り上げる岡野。アナウンサーを志望していただけあって、よく通る声をしている。

笛と、太鼓と、トランペットを1人でやった日。

「開幕戦から何試合かは穴を開けたことはあるんですけど、5月以降は団員の誰かしらが必ずスタンドにいるようにはなりました。ただ、応援団はどこの球団の人も、収入ゼロで支出100という特異な職業です。僕も空いた時間でバイトをして、足りない時は親に借金しながら全国を回りました。苦しかったですけど、やっぱり、モチベーションになったのは、イーグルスの力になりたいということ。そして、ファンの人が『どうやって応援していいかわからない時に、応援団がいてくれて嬉しかった』と言ってくれたことですね。

 最初は誰もいなかった場所でも、『私も一緒にやりたい』という人が徐々に集まってきて、シーズンの最後には東北、関東、関西、九州にそれぞれ支部ができ、団員も24人に増えていました」

 イーグルスの1年目は、38勝97敗1分の最下位に終わる。岡野はそのうちの90試合に応援団として参加した。

「悔しいことだらけでしたよ。リードしてもファンの人の方がベテランですから、『ヘタクソー!』と野次られたりするのは日常茶飯事。京セラドームでのオリックス戦で向こうの応援団が“1-9”の前に礒部や(川口)憲史などの近鉄時代の名曲と言われる応援歌を流したこともありました。一番悔しかったのは、2年目のことですけど、トランペットを覚えて、札幌の3連戦に1人で乗り込んだ時ですね。その時に笛と太鼓とトランペットと旗振りを全部ひとりでやったんですけど、あまりにもヘタクソだったので、選手から『応援を辞めるように言ってくれ』と注文があったらしいんです。

 それで、球団の人がスタンドを見に来たら、僕が1人でやっている。その人、5回が終わった時に選手をベンチ裏に集めてこう言ったそうです。『すまない。この3日間、応援団は1人しかいないらしい。申し訳ないが下手な応援かもしれないが、彼の為に我慢してくれ』って。その言葉に選手も納得してくれたらしいんですが、その3連戦はサヨナラ負けを含む3連敗でした。完全に僕が足を引っ張ってしまったんですよ。ヘタクソな応援を選手に我慢させて、お客さんも満足させられない。1人で泣くしかありませんでした」

他球団の応援団に支えられ、今の楽天応援団がある。

 11月3日。楽天初年度のシーズン最後の試合となる、草薙球場で行われた東西対抗戦。試合終了後の二次会で各球団の応援団がそれぞれの“1-9”を流し盛り上がる中、楽天応援団の順番が回ってくる。岡野らは数少ない応援歌の中から、礒部と大島公一で汎用テーマ2曲を流した。

「でも、お客さんが誰も歌えないんですよね。それ以上にショックだったのが、僕らの後にオリックスの応援団が礒部の近鉄時代の曲をやると、物凄い盛り上がったんですよ。それを見た時、1年間俺は何をやってきたんだろう……って、自分の力のなさに号泣するしかありませんでした。そうしたら、オリックスの応援団の方が言うんです。『岡野、泣くな! オマエが泣いてしもうたら、おれらも泣いてしまうやないか! オマエの気持ちはわかっとるから!』って。

 彼らは彼らで辛かったと思うんです。合併という不条理に振り回され、大好きな選手の応援もできず……オリックスの応援団の方が厳しく接してくれたのも、僕らのためを思ってのことだと今はわかります。シーズン終了後になって言われました。『お前らが毎回飽きずに大阪に来てくれていたことは知っている。これからも頑張って欲しい。俺たちは兄弟だと思っているから』って。素人の集まりではじめた弱々しい僕らを支えてくれたのは、ついてきてくれた楽天ファンの人はもちろん、他の5球団の応援団の方たちでした。僕らが楽天の応援団として形になったことも、こんな気持ちのある人たちがいるパ・リーグにいたからこそできたのだと思っています」

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