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柿谷曜一朗が“セレッソの8番”に!
Jにおける背番号が持つ、重い意味。
text by
細江克弥Katsuya Hosoe
photograph byAFLO
posted2013/02/03 08:01
「前任者」の清武(右)から8番を受け継いだ柿谷。海外オファーを蹴っての残留決定は、柿谷のさらなる進化の契機となるか。
長らくチームを支えた森島が「8」に息吹をもたらした。
この背番号に特別な意味を持たせたのは、前身のヤンマー時代から数えて18年、チームの絶対的なエースとして歴史を作ってきた森島である。
クラブのJリーグ昇格やJ2降格、優勝争いや残留争い、さらに個人としてはベストイレブンへの選出や日本代表としてW杯出場を果たした森島は、“セレッソ大阪”になってからの20年を先頭に立って牽引し続けた。
もっとも、彼が“ミスター”の冠を授かる英雄となり得たのは、物腰の柔らかさに象徴される彼自身の人間的な魅力があったからこそ。誰よりもひたむきに努力し、誰よりも結果を残し続ける姿を見せてきたからなおさら、背番号8は多くの人に愛されたのである。
香川に先を越された柿谷は「悔しい気持ちしかなかった」。
そんな特別なナンバーを受け継いだのは、早くから天才と称され、4歳からこのクラブの下部組織で育ってきた柿谷ではなく、2006年の加入から右肩上がりの急成長を遂げてきた香川真司だった。
当時を「悔しい気持ちしかなかった」と振り返る11番の柿谷は、良く言えば天真爛漫なキャラクターが災いとなり、挙げ句には失格の烙印を押されて失意のまま徳島ヴォルティスに新天地を求めた。しかし、そこで環境の変化や良き指導者、良き仲間に恵まれて本来の輝きを取り戻すと、昨年には2年半ぶりの復帰を果たし、チームの新たなエースとして獅子奮迅のパフォーマンスを見せた。前線で攻撃の中核となり、11得点を記録してチームをJ2降格の危機から救ったエースの姿には、明らかな成長の跡が見て取れた。
清武はブンデスに移籍後も「8」の重みを感じている。
香川の後継者としてナンバー8を背負った清武は、昨年夏、ニュルンベルクへの移籍会見で表情に悔しさをにじませた。晴れやかな舞台でやり切れない歯がゆさに苛まれていた原因は、やはりこのエースナンバーにあった。
「今年は8番をつけさせていただきながら、結果を残すことができませんでした。このタイミングで発表して、サポーターの皆さんやスポンサーの皆さんには、本当に期待を裏切ってしまった気持ちでいます」
そう語った移籍会見から約1カ月が経過した頃に話を聞いた時も、やはり背番号8への思いが先に立った。
「移籍は迷いました。8番をつけていながら、結果を残せなかったので。8番じゃなかったら、そこまで悩まなかったかもしれません。セレッソにとってはそれくらい重い番号やし、正直、重さをキツく感じることもありました。最初はそれほど感じなかったんですけど、試合を重ねながら、少しずつ。サポーターの皆さんからの声を聞いて、改めて、その重さを知りましたね」