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<CSKA躍進の鍵> レオニード・スルツキ 「謎の青年監督の正体」 

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中嶋亨

中嶋亨Toru Nakajima

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2010/05/08 08:00

<CSKA躍進の鍵> レオニード・スルツキ 「謎の青年監督の正体」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

「本田の左足」を高く評価し「勝利の鍵を握る」と期待を寄せている

弱小チームを次々に躍進させた、独特のサッカー哲学。

 ボルゴグラード大学院を首席で卒業したスルツキは、着実に指導者としてのキャリアを重ね、サッカーを緻密に分析した。彼が任されるチームは強豪ではなく、常に挑戦者だった。そういうチームを率いるうちに、現在の自分を支える哲学を得る。それは、「効率良く守備をすれば、効率良く攻めることができる」こと。「守備組織を整備すれば、ボールを良い形で奪う回数が増える。そうすれば自ずと攻撃のチャンスは増える」。この信念を基に、スルツキは任されたチームを次々と昇格、躍進させていく。

 そして、'07年には経営難に苦しんでいたFCモスクワ(現在はリーグから除外)をリーグ4位へと導き、ついにロシアサッカー界トップレベルでの挑戦権を手にしたのだった。

 CSKAの監督に抜擢されたスルツキは、あっさりと古参選手達と打ち解けた。チーム通訳のマキシム氏は、「すぐに選手達の心をつかんだ」要因としてピッチ内外でのスルツキの振る舞い方の違いを挙げる。ピッチでは補佐役である元ロシア代表主将オノプコをも心酔させるサッカー哲学を貫き、的確な指示で「軸に据える」と評した本田圭佑の力も引き出した。

 30代とは思えない風貌と巨体から漂う貫禄は、まさにボスそのもの。一方、ピッチを離れると、選手達は彼に気軽に話しかける。例えば、1月のスペイン合宿の際にはロシア人選手がスルツキを囲みながらミラノダービーをテレビ観戦していたように、彼の周囲には自然と人が集まって来る。兄貴肌は、どうやら生まれついてのものらしい。

スルツキの人柄がにじみ出る、負傷を巡るエピソード。

 最後に選手スルツキのキャリアを終わらせた負傷を巡るエピソードを紹介しよう。

 19歳のスルツキの左膝が壊れたのは、友人の飼い猫を救うためだった。地上10mほどの木に登り、降りられなくなってしまった猫を救おうとしたが、登った木が折れ、落下。鼻骨骨折、左膝とその周辺の骨を粉砕骨折するなどの大けがを負って一年間の入院を余儀なくされ、選手キャリアに終止符が打たれた。

 それでも、彼はこう言うのである。

「でも、猫は助かったんだ。他に助けに行ける人がいなかったから、私は少なくとも役目を果たしたと思うよ」

レオニード・スルツキ(LEONID SLUTSKY)

1971年5月4日生まれ。19歳の時に左膝を負傷し、選手の道を断念。'04年、FCモスクワのリザーブチームを指導し、翌年トップチームの監督に就任。'07年にクラブ史上最高の4位に導いた。'09年10月にCSKAの監督に抜擢され、CLベスト8に進出。リーグ戦では6節終了時点で3位

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#CSKAモスクワ
#レオニード・スルツキ

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