プロ野球亭日乗BACK NUMBER
炯眼の勝負師・落合博満監督に、
ただひとつ足りなかったもの。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2011/10/04 10:30
昨季までの7年間、中日の監督としてリーグ優勝3回、日本一1回の成績を収めた。後半好調の今シーズンも1位ヤクルトの背中を射程圏内にとらえている
オークランド・アスレチックス・松井秀喜外野手の師といえば、いわずと知れた巨人の長嶋茂雄終身名誉監督である。
「いま自分がやろうとしているバッティングは、基本的には巨人時代に長嶋監督とやってきたことと同じなんです」
メジャーに渡って9年、プロ生活20年になろうかという今でも、ミスターと二人三脚で追い求めた打撃の真髄を究めるために、松井は階段を登りつめているわけである。
そのミスターとは別に、実は松井にはもう一人、“影の師”ともいえる存在がいる。
「理にかなっているけど難しかった。ようやく最近になって言っていたことが分かることがある」
中日の落合博満監督である。
プロ2年目の1994年、落合は中日からフリーエージェントで巨人に移籍してきた。それから日本ハムに移籍するまでの3年間、打者・松井は打者・落合から薫陶を受けたのだった。
「自分で考えろ」……選手時代も監督時代も同じ姿勢だった。
「当時は落合さんの言っていることの半分も理解できていなかった」
松井は振り返る。
普段はあまり何も言わない。たまに風呂場で顔を合わせたときに、問わず語りに落合がバッティング論を語りだす。ほとんど一方的に話す内容は、難しかった。
そして――。
「まあ、その内に分かるから」
最後はこう笑って、湯船から上がっていく。
それが常だった。
「その後、自分でも色んなことを経験して、自分なりにバッティングというものを考えていったとき、『そういえば落合さんが言っていたなあ』ということがよくあったんです。あの当時の僕は、まだガキだったから落合さんの言っていることが難しすぎた。言葉の意味を半分も理解していないところもあった。でも、あのときに聞いた話は、いま思うとすごく理にかなったものだったと思います」
松井は振り返る。
これは落合という人物の本質を伝えるエピソードでもある。
口下手と言えば口下手ではある。ただ、落合には相手が分かるまで、懇切丁寧に噛み砕いて説明しようなどという思いはない。
「自分で考えろ」
そうしなければ成長はないということだ。
監督になった落合も、本質は同じだった。