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'96年、「黄金世代」は敗れたが、今回の結末は? 

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph byTsutomu Takasu

posted2008/05/30 00:00

'96年、「黄金世代」は敗れたが、今回の結末は?<Number Web> photograph by Tsutomu Takasu

 伝統国として知られるポルトガルとチェコ(旧チェコスロバキア)の初顔合わせは、1930年1月12日に遡る。以来、ワールドカップやユーロの予選で幾度も鎬を削ってきた。

 '66年のワールドカップ・イングランド大会の予選では、ポルトガルがチェコに1勝1分けと勝ち越し、イングランド上陸を決めた。本大会では黒豹エウゼビオの得点王に輝く活躍で、3位入賞を果たしている。

 10年後のユーロ予選では、チェコに軍配が上がった。1勝1分け、ホームでは5対0と敵を寄せつけなかった。ユーゴスラビアで開催された本大会では準決勝でオランダ、決勝で西ドイツという2年前のワールドカップのファイナリストを連破。初優勝を成し遂げた。

 両国はその後も2度のワールドカップ予選で対決、'86年メキシコ大会はポルトガルが、'90年イタリア大会ではチェコが本大会に出場した。つまり相対した4度の予選は両国が2度ずつ本大会に出場、互角といってよかった。

 そんな予選の好敵手がたった一度、大舞台で対戦したことがある。イングランドで開催されたユーロ'96の準々決勝である。

 戦前は、ポルトガル有利といわれていた。

 チェコはグループリーグでイタリアを破る金星を上げたが、ポルトガルはその衝撃も霞んでしまうほど美しい戦いを見せていた。

 '89年、'91年のワールドユースを連覇した「黄金世代」を軸に据えたポルトガルは、渦を巻くような攻撃で、敵を幻惑した。目まぐるしいポジション交換とトリッキーなプレーの応酬。ルイ・コスタ、パウロ・ソウザ、フィーゴのトリオが奏でる、即興性と創造性に満ちあふれたパスワークとドリブルは、ヨーロッパ中の愛好家を唸らせた。

 チェコとの準々決勝でも、ポルトガルはゲームを掌握した。激しい追い込みでボールを奪うと、流れるように敵陣に侵入した。24分にはサ・ピントが中央突破、ゴールに迫る。

 だがチェコの危機は、この一度きりだった。ポルトガルの技巧に敬意を表した彼らは、自陣深くに最終ラインを敷いて敵を迎え撃った。人数を割いて場所と時間を消して、ポルトガルのトリックを封じ込めてしまったのだ。

 受け身にまわっていたチェコは53分、ポボルスキーのゴールで先制する。強引なドリブルで4人を置き去りにした彼は、一気に中盤を突破。ペナルティエリアに差し掛かる。キーパーが出てきた。横から敵が捨て身のタックルを仕掛ける。その瞬間、彼は右足をスプーンのようにしてボールを掬い上げた。

 「あ……」

 観衆が口をあんぐり開けて見守る中、ボールはゴールネットを揺さぶったのだった。

 攻め込みながら見事に切り返され、ポルトガルは逆上した。見込みの低いロングパスを放り込み、また強引に単独突破を図ってはボールを失った。終盤、チェコに退場者が出ても流れを変えられず、彼らはイングランドを去った。美しいチームの呆気ない敗北だった。

 一方、勝ったチェコのネメチェク主将は、「ファンは驚いているけど、僕らは開幕前から自信があったんだよ」と笑った。

 チェコはドイツとの決勝まで勝ち進んだ。童顔のネドベドは、この大会におけるプレーが認められてラツィオに引き抜かれた。

 あれから12年、当時のメンバーはだれも代表チームに残っていない。だが、ふたつの伝統国は、才能の泉を守り続けている。

 ポルトガルが'86年W杯以来の桧舞台に返り咲いた翌年、大西洋の絶海の孤島、マデイラ島から、ロナウドという名の12歳のドリブル小僧がリスボンへと旅立った。チェコの守りを統率したカドレツの息子ミハル・カドレツは、親子二代でユーロの舞台を踏むことになりそうだ。

 無類のテクニックを誇るポルトガルか、それとも手堅いチェコか。21世紀最初の顔合わせは、果たしてどちらが制するだろう。

カレル・ポボルスキー

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