EURO2008 カウントダウンBACK NUMBER
'04年、優勝とリーグ敗退。明暗分けた両者が再戦。
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byAFLO
posted2008/05/28 00:00
隣国ポルトガルで開催されたユーロ2004は、スペインにとって我が家のようなものだった。序盤戦からファンが大挙押し寄せ、2戦目が行なわれたポルトの競技場は7割方、スペイン人で埋め尽くされた。対戦相手ギリシャのファンは数えるほど。初戦のロシアに続き、この小さな敵を平らげればベスト8進出が決まる。彼らは自信に満ちあふれていた。
しかし、タイムアップの笛が鳴り響いたとき、スペインは天を仰いだ。勝つべきはずの試合を引き分けてしまったからだ。そして開催国ポルトガルとの3戦目が、生き残りを懸けた戦いになってしまった。
スペインのファン、メディアは、この結果に腹を立て、サエス監督を一斉に批判した。先制しながら追いつかれた、その采配が槍玉に上げられた。
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モリエンテスの得点で先制したスペインは後半、ホアキンの投入によってサイドを支配。際どいクロスが次々とゴール前に送り込まれた。ところがサエスは、空中戦に強いモリエンテスを下げてしまう。この交代が問題視されたのだ。そして4日後、彼らはポルトガルとの決戦に敗れ、姿を消す。優勝候補の短い夏が終わった。
一方、勝ち残ったギリシャは、守護霊が乗り移ったかのような快進撃を見せた。
チェコとの準決勝、ギリシャ人が陣取る観客席には強気の横断幕が掲げられていた。
〈フィーゴ、ラウール、ジダン。次の餌食はだれだ!〉
怖いものなしだった銀河系時代のレアル・マドリーが誇るスターたちを、次々と撃墜していったのだ。
サッカーに情熱的なギリシャだが、代表チームは存在感がなかった。国民の大半はアテネの3強に首っ丈で、国際舞台で勝てない代表チームは見向きもされなかった。そんな哀れなチームが、ユーロで勝ち進んでいる。国中が驚きと興奮に包まれ、ギリシャ人が津波のようにポルトガルへ押し寄せてきた。
チェコを1対0で退けたギリシャは、驚くべきことに決勝でもポルトガルを1対0で倒し、優勝してしまった。それからしばらく、狂乱の騒ぎが繰り広げられた。優勝翌日、アテネのスタジアムで行なわれた祝勝会には5万人がつめかけ、外では入りきれなかった30万人が気勢を上げていた。
新聞各紙は、ありとあらゆる語彙を総動員して、この快挙を讃えた。
〈わたしが永遠に泣き続けられるように、神よ、もっと涙を与えたまえ〉
〈これが夢ならば、永遠に眠らせて〉
騒ぎは世界規模で繰り広げられた。ギリシャ移民が青と白の国旗を振りまわし、爆竹を鳴らして叫び続けたからだ。ミュンヘンでは通りに1万人のギリシャ人が集結、これにドイツ人も加わる。というのもギリシャの優勝は、65歳のドイツ人監督オットー・レーハーゲルを抜きには考えられなかったからだ。
彼は「オットー神」、またはヘラクレスに因んで「レハクレス」と呼ばれるようになった。ある新聞の読者投票では、'04年の「最優秀ギリシャ人」に選ばれてしまった。ほとんど現人神(あらひとがみ)のように崇め奉られたのである。
あれから4年、ギリシャはふたたび「優勝候補」スペインと対決することになった。
王者といえども、ギリシャは前回同様「伏兵」に過ぎない。4年前に勝てたのは、大勢で守り、セットプレーから得点するという「弱者の兵法」が功を奏したからだ。
ただ、守るだけのチームから一皮むけたという声もある。組み合わせに恵まれたものの、今予選の彼らは出場16カ国中最多の勝ち点を稼ぎ出した。スペインやドイツのリーグで活躍する選手も増えている。
ギリシャは進化した姿を見せるのか、それとももう一度、弱者の兵法を持ち出すのか。「オットー神」の託宣やいかに。