アジアカップ決勝弾丸観戦記BACK NUMBER

最終回:臨界点が近づいている。 

text by

川端裕人

川端裕人Hiroto Kawabata

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photograph byHiroto Kawabata

posted2004/08/12 12:18

最終回:臨界点が近づいている。<Number Web> photograph by Hiroto Kawabata

 EURO2004でかいま見た総合的な欧州サッカー文化とでもいうべきものに魅せられて、ならば「我ら祭り」であるアジアカップだってとことん楽しんでやれ、と計画した観戦旅行だった。結果的には競技そのものとは違う部分で翻弄されてしまった感があって、かなり複雑な気分。ここではあえて、サッカーのみに絞って感じたことをいくつか指摘しておきたい。

 誰もが合意してくれると思うのだけれど、本当に見応えのあるマッチが多かった。すごく喜ばしいことだ。中東と東アジアの東西両地域が突出する構図はそのままでも、東南アジアや中央アジアの国々もアウトサイダーではない。東南アジア共催の次回大会では、気候条件も手伝って東南アジアのチームがさらにブレイクするかもしれないし、そうすれば、アジア全体の勢力地図も混沌としてくる。強い・弱いという単純な評価ではなく、それぞれの国のサッカー・スタイルの探求も深まっていくだろう。例えば、小柄でキビキビ動くタイのサッカーが「世界」と拮抗するためにどんなふうに進化していくのか、など興味が尽きない。

 地域を限定して、ぼくたちの東アジアでは、なんといっても、眠れる竜、中国の覚醒の兆しを多くの人が感じたはず。

 今回の北京行きで知ったことなのだが、中国の人たちは本当にサッカーが好きだ。好きが高じて、あんなふうなフーリガンを出してしまうほどなのだから(というのはちょっと違う気もするけれど)。

 その一方で、代表チームは弱かったし、今も弱い。中国が世界をリードする他の競技に比べると見劣りしてしまうという意味で。あえて「弱い」サッカーが好まれるのは、不思議でもあり、また貴いことでもある気がする。この一点において、中国の人たちは、日本のぼくたちよりもサッカーの喜びの本質に近いところにいるかもしれない(気のせい?)。

 そんな彼らが、「好き」であることのパワーをベースにして、本格的覚醒を果たしたら……。「目の前の敵」が韓国だけではなくなるわけで、うれしいやら、困るやら、だ。

 臨界点は近い、というのが、総じての印象。アジアという地域全体でざっくりとサッカー熱が高まって、それぞれが自分たちの文化や身体性の可能性と制約を問い、サッカーという世界的コミュニケーションの場に出ていこうとしている、まさに臨界ぎりぎりのところまで来ているのではないか。今後、アジア・サッカーのターニングポイントだったと回顧されるような大会だったのではないかと思うのだ。そういう文脈でなら、本大会は大成功。中国政府の「成功」見解は、ここでは正しいというわけ。

 そして、最後はやはり「文化」だ。今回クローズアップされたマナー問題も、まさに文化の問題の一角に位置づけられる。これは中国だけで済む問題でもなく、ぼくらの地域の中で、サッカーという競技が持つ位置づけが微妙に揺らいでいるところから来るものだという感じもする。選ばれた代表選手や協会関係者だけではなく、ぼくら全員が関わる領分であり、当面の処方箋は、ぼくたち自身が、一面的ではない風通しのよい「言葉」を開発する努力を続けること、だろう。地道なことだけど、もっとサッカーとその周辺領域を語りましょう、というのが今回の提案。

 さあ、今度はギリシアだ。これも「我らの祭り」なのであって、また決勝戦には行ってきます。なんてことは、さすがに無理。でも、地道に語ります。

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