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監督VS.スター選手
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海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa
photograph byTomohiko Suzui
posted2007/04/20 00:00
![監督VS.スター選手<Number Web> photograph by Tomohiko Suzui](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/e/7/700/img_e7ed7ccd6df5812f857f26ef71286dc813534.jpg)
たいていの監督はスター選手が嫌いだ、すくなくとも、特別扱いはせず、他の選手と同じように扱おうとする。試合を戦うのはチームで、1人のスター選手ではないと思っているからだ。
一方、スター選手はそういう監督を嫌う。どんなことでも他の選手よりうまくでき、しかも人気があるのに、並みの選手と同じように扱われることに我慢ができないのである。スター選手はつねに自分が特別扱いされることを望む。スタメン落ちなどとんでもない。つまり、監督とスター選手は共存できないのである。共存しようとすれば、どちらかが相手に屈服するしかない。
むろん、中にはスター選手が好きな監督もいる。
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野球でいえば、ジャイアンツの長嶋監督がそうだった。FAで各チームの4番バッターばかりを集め、彼らの個人的な力で勝とうとした。さきにもいったように、スター選手とはつねに自分が特別扱いされることを望む人種である。当然、チームとしてはまとまらずいい野球をすることはできなかった。
ジーコ監督も長嶋監督に似ていた。代表監督に就任すると、その第1戦で、中田英寿、小野伸二、中村俊輔、稲本潤一の4人を中盤に並べ使った。トゥルシエ前監督が嫌い、けっして採用しなかった布陣だった。しかし、それは誰もが一度は見たいと思っていた夢の布陣で、“黄金の4人”と呼ばれて大歓迎された。
だが、結果的にはスター選手の個人的な力に頼りすぎてチームとして機能していないと批判されることになり、チームそのものもスター選手とそうでない選手のあいだに溝ができて、ワールドカップを戦う前に崩壊してしまった。
オシム監督は長嶋監督やジーコ監督と違い、世の多くの監督と同様、スター選手が嫌いなように見える。
ドイツワールドカップの惨敗で、多くのスター選手がスター選手でなくなってしまった現在、かろうじてそういえるのはスコットランドのセルティックで中心選手になっている中村俊輔1人だが、彼に対する評価がそれをよく示している。
「中村は走れないし、守備も弱い。だから攻められたときは誰かが中村の守備範囲をカバーしなければならず、チームとしての負担が増えてしまう」
この類の発言を何度も聞いた。大事なのはチームで、スター選手ではないということだ。オシム監督はその方針をつらぬき、ずいぶん長いあいだ、中村ばかりか海外のクラブに所属している選手は1人も代表の試合に呼ばなかった。かわりに、スター選手ではないが、走れといわれれば黙っていくらでも走る、よくいうことをきく選手ばかりを使った。
当初、ぼくは、それはそれでいいと思った。名前はなくとも、走ることを厭わない選手ばかりなら、さぞスピーディなサッカーをやって、目にも止まらぬ速さでゴールを量産してくれるのだろうと思ったからだ。
しかし、そうはならなかった。ゴールは以前と同じように奪えなかった。しかも彼らは走ることを見込まれただけの選手で、スター選手ではなかったから、ゴールを奪えない試合はまったく退屈だった。ほかの見るべきものはなかった。
中村とブンデスリーガのフランクフルトの高原直泰がやっと呼ばれたのは、3月24日のペルー戦だった。日産スタジアムには6万400人の観客が集まった。誰もが中村と高原の出場を歓迎したのである。スター選手を嫌う監督には複雑な光景だっただろう。
そして、ゴールは2点とも中村のフリーキックから生まれ、そのうちの1点は高原が決めたものだった。この試合も、それ以外は見るべきものはなかった。
しかし、試合後のオシム監督は中村のはたらきを認めなかった。
「中村は決定的なパスばかりを出そうとしていたが、そんなことはいつでもできるものではない。終盤に中村に代わって若い選手が出てからのほうがチームの動きがよかった。その後半の10分間のサッカーが日本の目ざすべきサッカーだ」
きっと中村はまだオシム監督に屈服していないのだろうと思うが、この決着はどう着くのだろう。
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