Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
勝負を分けたハートの差。
text by
藤島大Dai Fujishima
posted2007/11/15 00:00
ラグビーとは、つくづく精神性の競技であって、選手ひとりずつの闘争の覚悟も、ほんの少しだけの弛緩も、たちまちのうちに集団の隅々まで伝播して、ときに劣勢をはねのけ、また優位をも手放させる。
2007年のワールドカップは、誤解をおそれずに書けば「ハートの大会」であった。そこには「情熱」と「心理状態」という要素も含まれる。
トライのない決勝で、パリの夜空に太い腕を突き上げた南アフリカ代表スプリングボクスは、キック主体のイングランドを相手に、じっくり、じんわり付き合った。その臆病なほどに手堅い戦いぶりは、波乱の大会を反映しているようだった。ニュージーランド代表オールブラックスも、豪州代表ワラビーズも、開催国フランスもいなくなった。だから、開幕前の優勝候補唯一の生き残りとして自分たちだけは消えられない。そんな心理。
大本命のオールブラックスは、決勝どころか準決勝にさえ黒衣の雄姿を現すことはなかった。準々決勝でフランスに敗れたのだ。ハートで。燃えるハートの熱量で。
フランスは、パリでの開幕戦、薄ぼんやりとした心構えのままアルゼンチンに敗れた。グループ2位を確保するも本拠地を離れなくてはならず、ウェールズのカーディフで、よりによってオールブラックスとぶつかる。順当なら、ここでおしまいである。
まさに断崖にかかとはハミ出ていた。
試合前、オールブラックスは恒例のウォークライ、ハカを披露する。フランスのメンバーは、トリコロール、つまり赤、白、青のTシャツを着分けて、人間の国旗をこしらえて対峙した。なんとしてもパリへ帰る。情熱は、ほとばしった。
前半はオールブラックスが13-3とリードするも、後半29分、フランスは18-18と追いつき、ゴール成功で勝ち越した。あとは、ひたすら青い壁を築き、ついに守り切る。
公式記録では、ボール保持率(%)が、71対29、地域支配率(同)も63対37と、オールブラックスが圧倒的に優勢だった。だが、フランスのタックル数は、ディフェンス担当コーチのカウントでは「299」にも及び、そのうちのミスは「15」に過ぎなかった。
オールブラックスは、まるで開幕戦のフランスのように、自信満々でもなく、さりとて危機感で一杯でもない、中途半端な心理状態にはまり込んだ。プール戦ではソフトな相手に大勝続き。初めて骨のある敵とぶつかるノックアウト・ステージで、いきなり生きるか死ぬかの局面が襲いかかってきたのである。
「なぜ負けたのか分かるくらいなら、それは解決されていたでしょう。これから長い時間を費やして考え続けることになる」
マコウ主将のコメントは痛々しかった。
クラブの試合(南半球のスーパー14)を計画的に休ませ、「燃え尽き」を回避する狙いから層を厚くして「ローテーション」と呼ばれるレギュラー巡回制を採用、サッカーでいえばブラジルのように潤沢なタレントを擁するチームは、用心深く、大切に大切に扱われながら本大会を迎えた。すべては磐石のはずだった。しかし、精神の根源を奮い立たせたフランスに打ち砕かれた。
心のスキを突いて勝ち、
その心のスキに敗れ去る。
オールブラックスの蹉跌を長く紹介したのは、今大会は、これに似た心理のアヤによって少なくない勝敗が決したからである。
ワラビーズもそうだ。準々決勝、そこまでよれよれのイングランドにしてやられた。プール戦でスプリングボクスに0-36と大敗して「終戦ムード」に覆われた前回覇者は、この午後、豹変していた。鈍重な戦いぶりから一転、ボールを果敢に動かし、「魂」としか形容できない気迫のタックルを繰り返して、冷静沈着で鳴るワラビーズをパニックに陥れた。12-10。僅差にして大勝利だった。
フランスは、待望のパリで、そのイングランドに敗れる(9-14)。こんどはフランスがオールブラックスのようだった。多くの領域に少しずつ優勢ゆえ焦点を絞れず、突き放せぬまま終盤に引っくり返された。
心のスキを突いて勝ち上がり、その心のスキに敗れ去る。緩んでいるのではない。緩んではならぬと言い聞かせてはいる。しかし言い聞かせている時点で、ハートに自然と火のついた挑戦者魂に後手を踏んでいる。
フィジーは、日本を35-31で辛くも振り切り、日本が18-72で負けたウェールズに38-34で勝った。ウェールズは単調な戦法が世論の批判にさらされ、日本戦で広くボールを動かして評価されると、フィジー戦もそのままの方法で戦った。フィジーに必勝を期すならキックとFW戦に徹すればよかったのに。ここにも心理の動きが働いている。
こうしたハートの「起伏」と無縁だったのが、堂々の3位、アルゼンチンである。情熱の炎は、いつでも燃えて燃え盛った。
愛称・ロス・プーマスのスタイルは異質にして簡潔である。言葉の本当の意味でのフットボーラーである背番号10、ファン・マルティン・エルナンデスの美しくも残忍なキックが幹にはある。宙高く蹴り上げられたパントは、枯葉が舞うように揺れながら落ちる。ディフェンス網の裏をつく低いキックは、トカゲの舌がニョロッと伸びるみたいに速度を変化させた。これまでのラグビーのキックとは次元が違うのである。この格別なキックを軸に、勤勉で結束の固いFWが効率的に仕事に励む。スクラムを押し、モールを前進させ、ゴツンゴツンとぶちかまし、あとは必殺のタックルに徹する。倒し切り、奪い、カウンター攻撃、またキックとゴツンゴツン。スタイルはくっきりしている。
選手の大半は欧州でプレーするが、国内クラブはアマチュアのままだ。SHのアグスティン・ピチョット主将の発言がよい。
「我々のラグビーは最後のロマンティシズムなのです。パートタイムのコーチ、年間に国際試合は5回のみ。それなのに世界に存在を示せるのだから」(英国・ガーディアン紙)
他国とは異なる明快なゲームプラン、その枠が揺るがぬからこそ細部の精度は追求され、むしろ選手の自由度も高まる。スタイルは違っても、そこにはジャパンのめざすべき道筋がある。長期的にフィットネスと筋力を鍛え、日本ならではの戦法と技術を構築していく。それがアルゼンチンに続く方法である。
アルゼンチン、フィジー、それにスプリングボクスに25-30と迫ったトンガ、いずれも母国の人物が監督を務めた事実は興味深い。冒頭の仮説である「ハートの大会」の傍証ともなる。プロ化が浸透、国境を越えて人と情報の交流は盛んで、戦術や技術に大差はない。この3カ国のように一定の身体能力を備えているなら、それぞれの文化を知る指導者が、ふさわしい手法でハート(魂)を解放することで力はみるみる発揮される。
さて、覇者たるスプリングボクスへの言及が少ないのは、どこか「消去法」の気配なくはないからである。ただし、ラインアウトの安定、ブレイクダウンでの圧力、タックルの重さは世界一の称号に値した。
しくじらぬよう慎重に慎重に勝ち抜いた、その繊細さは、実は、歴史的に南アフリカのラグビーの一面でもある。人種隔離政策アパルトヘイトの反動もあり、万事が「政治」と無縁ではありえない。国民注視のスプリングボクスにもバランスは要求される。具体的には「人種の均等=非白人の起用」を求める政治圧力との駆け引きである。ジェイク・ホワイト監督は「実力主義」を唱えたため微妙な立場に置かれた時期もある。決勝メンバーに非白人は2名のみ。負ければ批判は必至で、その意味でも勝つほかはなかった。怪力で俊足、なんでもできそうなのに、あえて殻を破らず静かに引き寄せたトロフィーは、政治バランスとグラウンドのリアリズムの溝を埋める「魔法の杖」なのかもしれなかった。