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雲の切れ間に射す光。──ハミルトンのルーツを訪ねて。
text by
坂野徳隆Narutaka Sakano
posted2007/10/07 00:00
当時、ライハウスのコース運営管理者でルイスを間近に見ていたジョン・ハフも、「ルイスは目を疑うほど群を抜いていた」と回想する。カデットクラスはレーサーを志す者にとってはもっとも重要なクラスであり、そこでルイスは類稀な才能を見せた。そして経済的サポートとマクラーレンとの契約という幸運を一気に得ていくのである。
'96年暮れ、ロンドンのホテルで行われたオートスポーツ・アウォーズの表彰式で、ルイスは初めてサーキット以外で公式にロン・デニスと会う。そのとき少年はデニスに「いつかあなたのマシンでレースをしたい」と言った。'97年、ルイスはジュニアヤマハ選手権を制し、翌年「マクラーレン・アンド・メルセデスベンツ・ヤングドライバー・サポートプログラム」に調印。晴れてデニスの秘蔵っ子としてのサポートを受け、彼の名前が書かれた、銀色に輝くトランスポーターも授けられた。今は見慣れた色との出会いである。
ルイスは父アンソニーの経済的援助から離れる。だが、父はメントー(指導者)として精神面で二人三脚をし、サポートしていく。
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'99年、14歳になったルイスはライハウスを巣立ち、大陸へと活躍の場を広げる。
「ライハウスのようにイギリスのカートコースは総じて古く、狭い。しかし、だから英国人カーターは速く、うまいんだがね。バリアへ激突しないようドライブするから」
'99年終わりから'00年終わりまでルイスのメカニックを務めたキーラン・クローリーはそう語る。ステヴィニッジ出身の彼は、メカニックを探していたアンソニーが、共通の友人を介して探し出した。初めてルイスと会ったときの印象は強烈だった。自宅を訪ねてきた少年はスーツを着込み、普段着のクローリーは仰天した。そのプロらしい紳士的なマナーと意気込みに打たれ、翌日ライハウスでテストを始めた。そして走りにほれ込み、インターA、フォーミュラAでメカニックを2年間引き受けることになった。
クローリーはバンを運転し、ルイスと大陸を転戦した。'99年は16レースを消化。テストをしてはレース、移動と多忙な1年となる。JICAで準優勝など数々の結果を残した。特にベルギー選手権のレースではルイスの才能を垣間見る。
(以下、Number688号へ)