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雲の切れ間に射す光。──ハミルトンのルーツを訪ねて。 

text by

坂野徳隆

坂野徳隆Narutaka Sakano

PROFILE

posted2007/10/07 00:00

 実際、常勝の黒人陸上競技者カール・ルイスの名を授かった彼には環境が味方をした。けっして裕福とはいえない家庭に生まれ、複雑な家庭環境など、ステヴィニッジでの幼少時代は一見灰色基調に見える。しかしそれをバラ色に変えていったのは家族の絆だった。家族をよく知る地元の人々は、口を揃えてハミルトン一家の仲のよさ、父アンソニーの理知と情熱、献身さ、実・義母らのルイスへの精神的なサポートを証言してくれた。

 小学校に入ってすぐルイスは父が買ってくれたラジコンカーに魅了され、さらにクリスマスプレゼントに貰ったカートを駆り、8歳でコースデビュー。初めて走ったコース、さらに初レースが先のライハウス・カートレースウェイである。

初レースから発露していた、ルイスの類い希なる才能。

 「あの日、とても上手なノービスドライバーを見たんだ」

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 1994年のその日、マーティン・ハインズはたまたまライハウスに来ていた。前年、英国カデット・カート選手権で3位のガリー・パフェット(現マクラーレンDTMドライバー)を含む「ヤングガンズ」の面々が出走するからだった。

 この日、ルイスは初心者クラスの黒いプレートをつけながらも、経験豊富な年長者たちに後塵を浴びせ、4位でフィニッシュする。ハインズはアンソニーに「この子はこれまで何レース走ってきたのか」と訊ねる。「これが最初のレースです」という答えに仰天したハインズは、親子に翌日オフィスを訪ねるよう言った。初レースで目にとまった幸運。16歳になるまで、ルイスはヤングガンズ・チームでカートレースを走ることになる。

 モータースポーツ発祥の地であるイギリスでは、古くから世界トップレベルの各種フォーミュラレースが行われ、故アイルトン・セナも大西洋を渡り、英国のジュニアフォーミュラやF3で修業している。イギリスのカート選手権も競争率は他国に比べて高く、精鋭が育まれる土壌を持つ。8歳から13歳のカデットを入門クラスに、12歳以上のジュニアヤマハ、13歳以上のジュニアインターコンチネンタルA(JICA)とステップアップしていく。通常カートはシャシーとエンジンで30万円ほどだが、レース活動には費用がかさむ。ルイスの才能と情熱に応えるため、父は最初の1年弱、家財を売り、複数の仕事でやりくりした。それもヤングガンズへの参加で好転したが、ルイスの幸運の色はまだ鮮やかさを増しはじめたばかりだった。

 ハインズと出会った翌年、10歳のルイスは英国カデット・カート選手権を制する。ハインズはこのときある構想を練っていた。カートへのスポンサーを増やし、若い才能がチームオーナーらの目にとまることを目的とした、国際テレビ放映を核にするジュニア選手権設立構想である。ロン・デニスと交友があったことからスポンサードもすぐに決まる。「マクラーレン・メルセデス・チャンピオンズ・オブ・ザ・フューチャー」が生まれたのは翌'96年。11歳のルイスはこの初年の同選手権カデットクラスチャンピオンに輝く。ロン・デニスがライハウスのコースを訪れ、ルイス少年を見初めたのはこの年のことである(同選手権は5年後に廃止される)。

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