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高校サッカー消えた天才得点王「選手権がピークでした」異様な“アイドル人気”に戸惑い「女子100人超が2月14日、自宅近くへ…校庭にも」―2025上半期 BEST3 

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生島洋介

生島洋介Yosuke Ikushima

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photograph byYow Kobayashi/全国高体連記録部

posted2025/05/07 06:00

高校サッカー消えた天才得点王「選手権がピークでした」異様な“アイドル人気”に戸惑い「女子100人超が2月14日、自宅近くへ…校庭にも」―2025上半期 BEST3<Number Web> photograph by Yow Kobayashi/全国高体連記録部

高校時代の江原淳史さん。武南で選手権得点王に輝いたFWは、当時アイドル的な人気を博した

 こう考える江原にとって、PK戦に持ち込まれたら早期敗退もあり得る、という状況は奮い立つものだった。動くのがやっとの状態にもかかわらず、まさに値千金のゴールをねじ込む。本大会でのどの得点よりも凄みを感じさせる一発だった。

「動けないんですけど、そういうのを超えたというか。能力が高い選手が揃っていたので、別に俺が背負うものなんてないんですよ。ただ、選手権のために生きてるっていうのは俺だけだとは思ってましたね。だってもう、小学生のころから、震えるくらい感動させてもらってきたから」

選手権に出たら高校の練習に女子生徒が…

 8ゴールの活躍で江原は全国区のアイドルとなった。バレンタインには自宅の近くへ100人を超す女子が集まりパトカーが出動したとの逸話もあるモテっぷりだったが、高校のグラウンドが騒がしくなったのはその1年前、江原が2年生の冬だったという。

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「やっぱり選手権ですよね。自分はたまたま2年から出てたので、武南を応援してくれてた方や、高校サッカー好きの人たちが目に止めてくれた。インパクトのあるプレーができたわけではなかったけど、武南の江原っていう存在を一応はアピールできたかな」

 大会を終えると、日に日に練習のギャラリーが増えた。オープンな造りだった校庭の周囲を、他校の女子生徒たちがぐるっと取り囲んで声援を飛ばす。それは日常の風景となっていったが、さすがに大会前ともなればチームの雰囲気はピリピリするもの。難しい空気のなか、後輩たちはギャラリーの整理で大変な思いをしていた。

とにかく選手権がピークだったんですよ

 江原が最後の選手権を戦った1993年は、まさにJリーグ開幕の年だった。帝京の松波正信(ガンバ大阪)や山城の石塚(ヴェルディ川崎)など選手権のライバルだけでなく、室井市衛(鹿島アントラーズ)や坂口健司(浦和レッズ)らチームメイトも卒業後すぐにプロの道へ進んだ。一方で頚椎の痛みが消えなかった江原は、Jクラブからの誘いを断り中央大を選ぶ。一足先にプロとなった同級生たちを得点王はどう見ていたのだろうか。

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#江原敦史
#武南高校

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