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「ファイトマネーは3000円」「時給430円でバイトを…」あのアイドルレスラーが明かす、新人時代の“リアルな給与事情”…福岡晶が語るジャパン女子プロレス
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)Shiro Miyake、R)東京スポーツ新聞社
posted2025/04/16 11:00
ジャパン女子プロレス、JWPで活躍したアイドルレスラー・福岡晶のインタビュー(第1回)
――どんな方でした?
福岡 すごく丁寧に教えてくれましたけど、練習は厳しかった。とにかくね、熱血なんですよ。ちゃんこ当番で、私はGAMIと組んでたんですけど、「おっまえ、そんな切り方じゃダメだよ!」って、自分で切りはじめたりして。すごくいろんなことに情熱的で、練習のときは厳しいから嫌いだったけど、(総合的には)好きでした。
――そのころ、お給料は出ていましたか。
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福岡 先輩たちはわからないけど、私は出てました。デビューしたときはファイトマネー3000円とかで、少ない金額だけれどもちゃんと。出ないことがあっても、「私たちはいちばん下だからね」なんて言いながら、不満という感覚はなかったですね。会社に何が起きてるか知らないから、わかんないよねという立場だったので。噂レベルだと、もらってない選手がいたとか……。
食べ盛りの女の子が15人…足りないですよ
――アルバイトをしないと食べていけないとか……。
福岡 バイトはしてましたよ。でもそれは、デビュー前。寮に入ってたとき、親からの仕送りがある人が大半だったんですけど、私とボリショイ(・キッド)はそれがなかったんですね。ボリショイは大阪の養護施設から来た子なので、できなくて。私は父親が教師で厳しくて、「自分で決めたことは自分で切り拓いてがんばれ」と言われて出てきたので、高校のときにケンタッキーフライドチキンのバイトで貯めた5万4000円から、オーディションのときにかかった交通費などと、大好きだったプリンセスプリンセスのコンサートで使ってしまって、残った3千何百円を持って寮に入ったんですね。そんなの、すぐに消えるじゃないですか。シャンプー、リンス、洗剤を買ったり、女の子だから月に一度の生理用品もいるし。あっという間になくなったので、私は寮の近くの中華屋さんで、ボリショイはおそば屋さんで働いてました。
――全女の場合は、寮時代はお米は支給されたみたいだけど、ジャパン女子は?
福岡 たしかに、お米で不自由はしなかったですね。1週間に1度、持丸社長の奥さんが鶏肉2キロとか野菜とかをド~ンと運んで持ってきてくれるんですけど、食べ盛りの女の子たちが15人もいるから、足りないわけですよ。お金を持ってる子は、歩いて10分ぐらいのところにあった田舎ならではの商店で、お菓子とかカップラーメンとかを買ってくるんですけど、持ってない子はできないから、バイトをしましたね。覚えてるのがね、時給430円(笑)。週に2回でも、そういうのって積もり積もればそれなりになるんですよ。
――これが平成の話だからね(笑)。それでも、生活は困らなかったんですか。
福岡 普通のOLさんならできないでしょうね。私たちだから(できた)っていうのはある。練習に明け暮れる日々だから。毎朝7時に起きてね、8時に高尾山まで片道6キロ走るっていうので、一日の練習がはじまるんですよ。大仁田さんが車で、「おまえらー、ちゃんと走ってこいよー」って付いてきて。昼のちゃんこ当番の2人は11時半ぐらいに先に走って帰ってきて、準備。(午後)1時にみんなが帰ってくるという、その繰り返しの毎日。休みは日曜日だけ。自主練で、青い小さなマットを玄関の砂利の上にバタンッと敷いて、ブリッジをしたり。みんな、夕飯を食べたあとも自主的にやってましたね。


