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「江本さん、批判はこのくらいにしときいや!」03年の星野阪神フィーバーは異様だった「星野仙一さんは世間をすべて…」江本孟紀が明かす裏話
posted2025/02/24 06:01

阪神時代の03年、セ・リーグ優勝を果たしてパレードに臨む星野仙一監督(代表撮影)
text by

江本孟紀Takenori Emoto
photograph by
JIJI PRESS

「星野批判」は許されない空気を作り出した
星野さんが監督に就任した途端、阪神は「ダメ虎」から「猛虎」へと変貌した。とくに就任2年目の2003年は快進撃が続いた。金本知憲(現阪神監督)が4番に座り、伊良部秀輝、下柳剛らが機能し、大阪の街の人たちも大いに期待した。
「星野さんが来てから阪神の選手たちの目の色が違う」
「こりゃホンマに優勝するで」
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そんな声を、僕はキタでもミナミでも聞いた。大阪のスポーツ紙にはこぞって「星野称賛」の文字が躍る。聞けば当時の大阪のスポーツ紙は、星野さんの名前を見出しに書いておけば、飛ぶように売れていたそうだ。
大阪の一般大衆はまさに「星野阪神フィーバー」に染まっていた。こうなると、星野さんの批判は許されない空気感が漂ってくる。
そのことを象徴する出来事として、ちょうど当時、大阪で故やしきたかじんさんが司会の番組に、僕がゲスト出演する機会があった。当時の阪神は独走態勢に入り、9月にも優勝が決まるだろうと言われていた。
そこでたかじんさんに、
「星野さんはもう無敵でっしゃろ」
と言われたので、僕は返す刀で、
「……ただね、問題点がないわけじゃないんですよ」
と投打の不安点をいくつか挙げた。
普通ならば、「ああ、そういう見方もあるのか。さすが専門家やな」と返してくれるもんだと思っていたのだが、実際は真逆の答えだった。
「江本さん! アンタ何言ってんの!? 星野さんは阪神を変えてくれた人やで! もう神様に匹敵するような人を批判するような意見はこのくらいにしときいや!」
なんなんだ、この雰囲気は…
たかじんさんがこう言うと、他のパネラーのみなさんが「そうだ、そうだ」の大合唱となり、気づけば僕は孤立していた。