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「江本さん、批判はこのくらいにしときいや!」03年の星野阪神フィーバーは異様だった「星野仙一さんは世間をすべて…」江本孟紀が明かす裏話 

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江本孟紀

江本孟紀Takenori Emoto

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/02/24 06:01

「江本さん、批判はこのくらいにしときいや!」03年の星野阪神フィーバーは異様だった「星野仙一さんは世間をすべて…」江本孟紀が明かす裏話<Number Web> photograph by JIJI PRESS

阪神時代の03年、セ・リーグ優勝を果たしてパレードに臨む星野仙一監督(代表撮影)

 この間、星野さんは決して声を荒げるようなことはしていない。だが、沈黙の裏には「オレが何をいいたいか、わかっているんだろう?」という意味合いがあるのを、僕なりに読み取った。

 もちろん出版社だって出版スケジュールが決まっているわけだし、あと少しで校了という段階まできて、「やっぱり中止にしましょう」なんてことはできない。

「悪口」はクレームが入るかもなので止めましょうか

 そこで僕は担当編集者に、今の電話の相手は星野さんだったこと。「本当に出すんか」と半ば脅しのような雰囲気を感じ取ったこと。だからと言って、決して激高しているわけではないことなど、ひと通り話した。そこで、

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「それならこうしましょう」

 と妙案をもらった。彼はこう言うのである。

「江本さんらしさが出ている『毒』の部分は残しましょう。それに批判についても、意見の一つだからいいでしょう。でも明らかな『悪口』は、クレームが入るかもしれないので止めておきましょうか」

 出版の方向で進めていくが、内容を今一度見直しましょうというのだ。なるほどそういう考え方もあるかと思い、僕は星野さんへの「悪口」らしき表現を、赤ペンで消していくという作業を進めていった。

 すると――原稿の大半以上が真っ赤になってしまったのだ。ここで再び、編集者と「どうします?」となった。

 その結果、僕は眠い目をこすりながら、徹夜して大幅に書き直しをする作業を選んだ。

星野さんは世間の空気をすべて味方にしていた

 こんなところで屈してしまう僕はなんとも情けないが、当時の星野さんは世間の空気をすべて自分の味方にしていた。

 そのうえ自分に批判的な人間に対しては、星野さんらしい方法で沈静化させていた。こんなことができるのは、星野さんをおいて他にはいない。

 僕が思うに、阪神での2年間は、星野さんの監督人生のなかでも、もっとも濃密な時間だったはずだ。それを可能にしたのは、星野さんのキャラクターが大阪の空気とマッチしたからにほかならない。

 星野さんのリアクションやパフォーマンスは、大阪の人たちがもっとも好むタイプだ。星野さんにとって阪神はまさに「水の合う」環境だったと、今でもそう思えて仕方がない。

第1回からつづく〉

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「やかましい、ボケッ」「あの人は何やねん!」星野仙一21歳のヤジにキレた後、学ラン姿の本人に肩を叩かれケンカを覚悟したら…江本孟紀の記憶
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