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「3度目のルーキーという感じ」51歳のイチローが明かした米野球殿堂入りへの想い「特別な才能があったわけでもない選手が今ここにいる」《独占インタビュー》 

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石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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photograph byNaoya Sanuki

posted2025/02/13 17:00

「3度目のルーキーという感じ」51歳のイチローが明かした米野球殿堂入りへの想い「特別な才能があったわけでもない選手が今ここにいる」《独占インタビュー》<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

日本人初の米野球殿堂入りを果たしたイチロー(51歳)が、その想いを明かした

「僕はこれまで2度、ルーキーの立場を経験しています。NPB1年目の1992年と、MLB1年目の2001年です。今回は殿堂入りした錚々たる大先輩たちの中に入れていただいての、3度目のルーキーという感じです。まさか2025年にルーキーの気持ちになるとは想像していませんでした。アメリカで生活していると日本人には到底理解しがたいネガティブな出来事が多々起こるので、そんなときは『ここ、アメリカだもんね』と考えるようにしています。というより、そうしないとやってられないんです。でも、アメリカが野球の歴史を大事にするところは尊敬します。クーパーズタウンの存在は、アメリカに関してポジティブに驚かされた数少ないことのひとつです」

――驚かされたというのは?

「だって野球のためだけの街があるなんて奇跡ですよ。国技というだけのことはありますね。しかもヤンキースタジアムの隣にあるわけじゃない。ニューヨークのマンハッタンからあんなに離れた(車で約4時間)ところにある。それでも行ってみればあのあたたかい空気を味わえる……そうじゃなかったら、旅好きじゃない僕が何度も行きたくならないですよ」

特別な才能があったわけでもない選手が今ここにいる

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――アメリカで日本人プレーヤーが殿堂に入るのは初めてのことでした。その意味をどんなふうに感じていますか。

「今、その意味を理解することなんてできるわけがありません。18歳でプロの世界に入って以来、1994年(210安打の日本記録を達成した)や2001年(メジャー1年目にMVPを獲得した)のように、突然周りによって立場を変えられた年はありました。アメリカへ行くときは通用するのかしないのかって、知りもしない世界のくせに軽々に言われて、1年プレーしたら気持ちいいほどの掌返し……僕は地道に行きたいのに、勝手に番付を上げられてしまうんです。そういう難しい局面を自分なりにひとつずつクリアし、辿り着いたのがここだったと考えれば、それなりの想いはありますが、それはきっと5年、10年、もっと先にじわじわと湧いてくるものだと思います。それよりも、特別な才能があったわけでもない選手が今ここにいる、という事実のほうに大きな意味があるのではないでしょうか」

<後編に続く>

【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の《独占インタビュー前編》「野球のためだけの街があるなんて」イチローが“奇跡”と語ったアメリカ野球殿堂入りと「51」の縁「偶然にしてはでき過ぎです」で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。

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