第101回箱根駅伝出場校紹介BACK NUMBER

〈青山学院大学〉「圧倒的な走りを見せて、総合優勝に貢献する」3年間遠回りしてきた逸材・鶴川正也(4年)が最初で最後の箱根駅伝に懸ける決意

posted2024/12/26 10:01

 
〈青山学院大学〉「圧倒的な走りを見せて、総合優勝に貢献する」3年間遠回りしてきた逸材・鶴川正也(4年)が最初で最後の箱根駅伝に懸ける決意<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

出雲駅伝のスタート前、リラックスした表情で原晋監督と談笑する鶴川。この後、区間1位の好走を見せた

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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Nanae Suzuki

 鶴川正也(現・4年)が青山学院大学に入学したら、学生長距離界を「圧倒」するはずだった。

 4年前、2020年の冬。鶴川は「都大路」と呼ばれる全国高校駅伝に出場。10kmという最長区間にして全国のエースが集まる1区で競り合いを制し、区間賞を獲得した。

 世代ナンバーワンの、ひとつの証明である。

 鶴川にはラストのキレもあり、勝負強い。青学大に進学してからも、きっと箱根駅伝で大活躍するに違いない。誰もがそう信じていた。ところが前回大会まで、鶴川には箱根駅伝の出番はなかった。

「これまで3年間、ぜんぜん上手くいきませんでした」

 鶴川は大学生活をそう振り返る。

「下級生のころはケガを繰り返して、練習を継続できませんでした。ケガから復帰して、取り戻そうとして無理すると、またケガをするという繰り返しで」

ケガと焦りの負の連鎖

 太田蒼生、若林宏樹といった青学大の同級生が1年生から活躍するのを、鶴川は黙って見ているしかなかった。ようやく、はじめて大学駅伝を走ったのは3年時の出雲駅伝。アンカーを託されたが、区間7位に沈んだ。情けない……その思いは練習に向けられた。ところが、その気持ちがオーバーワークにつながり、ケガをしてしまった。

「同じことの繰り返しで、ますます情けなかったです。前回の第100回大会でもメンバー選考にぜんぜん絡めなくて、青学大が優勝したことはうれしかったけど、自分はダメだなって。こんなことならもう陸上競技をやめて、故郷の熊本に帰ろうかとも考えました。それくらい気持ちが揺れましたが、最終的には『やっぱり走るのが好きだな』と気づきました。大学最後の1年間は、納得する結果で締めくくりたいと思いました」

 そして2024年、鶴川は覚醒した。

 5月に行われた関東学生陸上競技対校選手権(関東インカレ)2部の5000mでは、留学生を抑えて優勝。ラストのスプリント力が光ったレースだった。続く6月に行われた日本陸上競技選手権の5000mでは、オリンピックを狙う実業団所属の選手たちにまじって4位入賞。13分18秒51のタイムは青学大記録というだけでなく、当時の屋外日本人学生の歴代最高記録だった。

【次ページ】 4年間の集大成として

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