Number Web MoreBACK NUMBER

「キャプテンは古賀、お前しかいない!」眞鍋政義監督が古賀紗理那に主将を託したワケ「俺はお前をリオ五輪で落とした。でも…いっしょにやってくれへんか」―2024年上半期読まれた記事 

text by

眞鍋政義

眞鍋政義Masayoshi Manabe

PROFILE

photograph byYuki Suenaga

posted2024/09/25 06:01

「キャプテンは古賀、お前しかいない!」眞鍋政義監督が古賀紗理那に主将を託したワケ「俺はお前をリオ五輪で落とした。でも…いっしょにやってくれへんか」―2024年上半期読まれた記事<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

パリ五輪出場を決めたバレーボール女子日本代表のキャプテンを務める古賀紗理那。真鍋政義監督はなぜ、古賀に主将を託したのか

 オリンピック予選には、他のどんな大会とも違う独特の緊張感がある。その雰囲気に飲まれたのか、古賀は本来のプレーができなかった。でも、そういう場面で力を発揮できなければ世界とは戦えない。

 誰を残すかについては、スタッフともずいぶん議論をした。もちろん古賀を推す声もあった。いろんな意見が出たが、最終的に決断するのは監督の役目だ。悩みに悩んだ末、私はそのときのベストの布陣を選んだ。残念ながら、古賀は落選となった。

 選手を外すときはいつも個別に面談して、理由をきちんと説明するようにしている。 古賀にも、オリンピック予選の数字を見せながら、「ワールドカップはよかったけれども、予選での成績が悪かった。これでは選ぶことはできない」と伝えた。古賀はかなりショックを受けている様子だった。私としてもつらかったが仕方ない。それが監督の仕事なのだ。

 ただ、この経験をバネに、さらに強い選手に成長してほしいという思いもあった。 これまで代表の中心選手は、多かれ少なかれみんな挫折を経験している。竹下佳江は シドニーオリンピックの予選で敗退したときに戦犯扱いされ、一時バレーを離れたこ とがある。オリンピックに4回出場した荒木絵里香でも、代表から外されていた時期がある。私が見てきた中で、すべてが順調で挫折がなかったのは木村沙織ぐらいだ。しかし、そんな彼女でさえ、ロンドン後には一時、燃え尽き症候群に陥った。

 私自身、1996年のアトランタの予選で韓国に負けて、オリンピックに行けなかったという挫折経験がある。あのときの悔しさは、いまだに心の中に残っている。でも、それが日本代表監督を続ける原動力にもなっているのだ。

リオの挫折がいい方向に働くことを祈って

 それまで古賀は順調なバレー人生を歩み、20歳にして代表の中心選手になった。しかし、ピークはまだ先にある。リオでの挫折がいい方向に働いてくれることを、私としては祈るしかなかった。

 その後、古賀はVリーグで大活躍を続け、東京オリンピックでは押しも押されもせぬエースに成長した。自国開催のオリンピック。本人も心に期すところがあっただろう。ところが、初戦で負傷退場。チームも予選ラウンド敗退というまさかの結果に終わってしまった。

 敗退したのは、もちろん古賀の怪我だけが理由ではない。ただ、彼女はエースとして誰よりも責任を感じたはずだ。他のメンバーも、それぞれ心に深い傷を負ったに違いない。新チームの発足にあたっては、そのケアを含め、慎重に事を運ぶ必要がある。

「キャプテンは古賀、おまえしかいない」

 パリを目指す代表チームのエースは古賀紗理那。それは最初からはっきりしている。 さらに今回は、古賀にキャプテンも務めてもらいたいと考えていた。

【次ページ】 「キャプテンは古賀、おまえしかいない」

BACK 1 2 3 NEXT
古賀紗理那
眞鍋政義
木村沙織
井上愛里沙
パリ五輪
東京五輪

バレーボールの前後の記事

ページトップ