The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
天才的な防御技術は「父の平手打ちをかわしながら身につけた(笑)」世界王座獲得で天国の母に感謝、“アンタッチャブル”川島郭志の親子物語
posted2024/04/26 11:00
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph by
Keiji Ishikawa
ボクシング不毛の地・徳島に生まれて
四国からは長らくチャンピオンが出ていなかった。著名選手といえば、愛媛出身で昭和三十年代に活躍した三迫仁志、同じく四十年代の門田新一ぐらいで、いずれも世界には届いていない。初の世界チャンピオンは平成の時代まで待たなくてはならなかった。1994年5月4日、横浜文化体育館で行われたWBC世界J・バンタム(S・フライ)級タイトルマッチで川島郭志がメキシコの王者ホセ・ルイス・ブエノを3−0判定で攻略。川島は四国の中でも特にボクシング不毛の地といわれた徳島県の出身だった。
四国に突然変異のように天才が現れたのではない。その前段階として、父親の存在があった。ボクシング好きの父親の影響で息子がボクサーの道を歩み始めるケースは昔から珍しくない。今の時代はさらに熱心な父たちがトレーナーとなって幼い頃から息子を指導し、やがて試合のセコンドにも付く。井上尚弥と田中恒成、少し前だと亀田3兄弟はいずれも父親が師となり、その情熱が息子たちを世界チャンピオンに押し上げる原動力となったといっていいだろう。父親たちがボクシングの選手経験、指導経験がほとんどないにもかかわらず、世界の頂点に立たせたのだから、つくづく感心してしまうのである。
スパルタ式で防御技術が身についたという冗談も
今では親子の師弟関係はどこにでもみられるようになったが、そのパイオニアともいうべき存在が、徳島の川島ファミリーである。海部郡海部町(現海陽町)で理髪店を営んでいた父・川島郭伸は、大のボクシング好きで、アマチュアの試合の審判を務め、42歳でアマの試合に出て話題になったこともある。男の子が誕生したらボクサーに育てると決めていたから、5歳上の兄志伸同様、郭志も父の手ほどきでボクシングを始めた。庭にサンドバッグを吊るした簡素な練習施設を作り、2人の息子を鍛えた。兄志伸は奈良でプロになったが、世界には届かず20歳で早々と引退。その後は弟の陰で心の支え役を務めた。