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進取の将棋BACK NUMBER
藤井聡太vs永瀬拓矢“残酷な大逆転”を生んだ「1分将棋の恐怖」王座経験者・中村太地の体験談「加藤一二三先生は秒読みが聞こえずに」
text by
中村太地Taichi Nakamura
photograph byKeiji Ishikawa
posted2023/10/19 06:00
八冠全制覇なった藤井聡太竜王・名人。その大きな要因になった王座戦第4局の大逆転劇と1分将棋について掘り下げる
2022年での経験でいえば、順位戦B級1組での山崎隆之八段との対局で両者1分将棋となりました(※編集注:141手目に中村、148手目に山崎が1分将棋に突入。162手で山崎が投了し、中村はA級昇級に向けて大きな1勝をつかんだ)。非常に難解な将棋でここで勝利できたことは本当に大きかったのですが、あの時を思い出してみると……集中力と思考がずっとフル回転している、本当の極限状態にあるような感覚です。
当然すべての手を読むことは不可能なのですが、できる限りの候補手を考え、選び出していかなければならない。大げさではなく、様々な変化を合わせていったら100手くらいは読まなければ正解にたどり着かない感覚に陥るのです。
「秒読みの声」が聞こえなくなってしまいそうな恐怖
その中で1つだけ怖いことがあるんです。それは記録係の「秒読みの声」です。
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対局中継をご覧になった方にとってはおなじみの「10秒~……20秒~……50秒、1、2、3、4、5……」という記録係の秒読みですが、それが聞こえなくなる状況に入ってしまうことがあるんです。スポーツの世界でも大活躍した選手がヒーローインタビューで〈大声援が聞こえなくなるほど集中していました〉というニュアンスのコメントを残されているのを見聞きしたことがあります。いわゆる“ゾーン”という状態なのだと推測されますが、棋士も“あまりに集中しすぎる”と周囲の音が聞こえなくなってしまうんです。
対局者としての立場で、その出来事を実際に経験したことがあります。
それは加藤一二三先生との対局でした。30秒将棋の早指しだったんですが、加藤先生があまりにも集中しすぎた結果、秒読みの声が聞こえなくなって時間切れで私が勝ってしまった経験があるんです。珍しいケースであることは確かなのですが、こういったことは十分にあり得るというのを皆さんに知っていただけたら幸いです。
皆さんもお仕事、趣味などに没頭した際に〈あれ、もうこんなに時間が経っている?〉と我に返った経験があるのではないでしょうか。時間の経過がまったくわからなくなるほど集中していたからゆえなのですが、両者1分将棋となると、短い時間での集中が繰り返し行われることになる。それゆえに疲労度も高く、思考の精度が下がった結果、形勢逆転が起こる確率が高まります。
藤井竜王・名人も“1分将棋の逆転負け”を経験した
実際、藤井竜王・名人であっても1分将棋で“逆転負け”を味わったことがあります。