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<電撃引退>「クラシックをあきらめていた」牧場主はデアリングタクトを1200万円で落札した…一族34年の悲願「クラシック制覇」を叶えた孝行娘の物語
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph bySankei Shimbun
posted2023/10/08 17:02
2020年秋華賞を制覇し、史上初無敗での牝馬三冠を達成したデアリングタクト。岡田牧雄氏がその出会いと岡田家のファミリーヒストリーを振り返る
デアリングタクトは日高町の長谷川牧場の生産で、1歳の夏に日本競走馬協会のセレクトセールで岡田が1200万円で落札した。岡田は言う。
「買ってきた馬ですが、日高に貢献できたと思うし、自分も勇気をもらいました」
牧場の経営者としては自分が生産した馬でクラシックに勝ちたいというのが本音だろう。しかし、社台グループの寡占状態がつづく現在、日高の牧場にとってクラシックは夢のまた夢である。日高有数の大牧場主である岡田でさえ「クラシックはあきらめていた」と言う。生産馬でなくても、岡田家にとって、デアリングタクトは初めてのクラシックホースとなったのだ。
父はとにかく怖かった。殺されるかと思いましたよ
岡田家の北海道での歴史は淡路稲田家の家臣団として静内の地に入植した明治初期にはじまる。岡田牧雄は入植5代目になる。
馬の生産をはじめたのは祖父の睦次である。商店を営むかたわら軍馬を生産していた。父の蔚男は大正7(1918)年の生まれで、18歳のときに土地をもらって分家している。ちなみに本家は現在も岡田猛牧場として競走馬の生産をしている。1989年のエリザベス女王杯を最低人気で勝ったサンドピアリスの岡田牧場も分家である。
独立後に結婚した蔚男は、戦時中は陸軍軍曹として満州に出征し、馬を扱う部隊を束ねていた。戦後、復員した蔚男は競走馬の生産牧場をはじめる。蔚男には二男二女の子供があり、長男の繁幸は1950年、次男の牧雄は1952年の生まれである。
「父はとにかく怖かった。殺されるかと思いましたよ」
岡田牧雄は言った。兄弟は幼いころから馬に乗せられ、毎朝馬房の掃除をさせられた。げんこつで殴られ、頭はいつも瘤だらけだった。なにをするのも父が一番先で、「家にはカースト制度があった」と岡田は笑った。まさしく「鬼軍曹」である。