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<電撃引退>「クラシックをあきらめていた」牧場主はデアリングタクトを1200万円で落札した…一族34年の悲願「クラシック制覇」を叶えた孝行娘の物語 

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江面弘也

江面弘也Koya Ezura

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photograph bySankei Shimbun

posted2023/10/08 17:02

<電撃引退>「クラシックをあきらめていた」牧場主はデアリングタクトを1200万円で落札した…一族34年の悲願「クラシック制覇」を叶えた孝行娘の物語<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2020年秋華賞を制覇し、史上初無敗での牝馬三冠を達成したデアリングタクト。岡田牧雄氏がその出会いと岡田家のファミリーヒストリーを振り返る

「死に場所を探して」アメリカに渡った

 岡田が高校生のときに、岡田家の男三人が結核にかかってしまう。岡田は2年間の入院を経験している。肺に穴がふたつ開いて、ずっと薬漬けだった。2年遅れて大学に入学したが、肺は思わしくなく、岡田は「死に場所を探して」アメリカに渡った。

 ところが、ケンタッキーの牧場で働いているうちに体調が良くなり、病院で診てもらうと、肺の穴も心配ないと言われた。元気になると馬に乗りたくなり、カリフォルニアのトミー・ドイル厩舎に移る。当時、ドイルの厩舎には社台ファームの吉田善哉など日本人が馬を預けていて、岡田は通訳も兼ねた助手として重宝された。アメリカに住んで2年が過ぎると、グリーンカードの申請手続きをし、ドイルは「アメリカで調教師になれ」と言ってくれた。

大喧嘩をして繁幸が家を飛びだした

 そのとき、家から電話がはいる。「大喧嘩をして繁幸が家を飛びだした」「お父さんが肺がんになって余命いくばくもない」「繁幸が馬に頭を蹴られて大変だ」――。

 帰国すると、兄の繁幸は包帯をターバンのように巻いていたが元気だった。兄は性格も父に似ていて、父と衝突するのは時間の問題だと岡田は思っていた。予想どおり、やはりアメリカ帰りの兄は、牧場の運営をめぐって父と喧嘩になり、東静内に自分の牧場をひらいて独立してしまった。

 父は病気もあって弱気になっていたのか「牧場はお前にぜんぶ任せるから、帰って来い」と言った。牧場を継ぐか、アメリカで調教師になるか、悩んだ末に、岡田は日本に帰ることにする。ドイルは激怒したが、自分で牧場をやってみたかった。

こんどは父が家を出た

 しかし、それから3年が過ぎても岡田は一牧夫として働かされていた。「ぜんぶ任せるからと言うから帰ってきたのに、話が違うじゃないか!」と岡田の怒りが爆発し、大喧嘩となる。こんどは父が家を出て、兄の牧場に家を建てて隠居する形でおさまるのだが、とにかく激しく忙しい家族だ。

 そんな岡田家の男たちにも忘れられない記憶がある。あるとき、繁幸が小さな牧場で仔馬を買った。買う前に父に見せると、必ずけちをつけるので、このときは買ったあとに見せた。3人で馬を見に行くと、父は、良いとも悪いとも言わず、ただ黙って見ていた。体が弱っていたこともあったが、こんなことは初めてだった。

【次ページ】 その馬の名は「グランパズドリーム」

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