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藤井聡太20歳「はっきり苦しい」王座戦で八冠ロード窮地→「毒まんじゅう」サク裂…《評価値6%》から大逆転の「6四銀」はナゼすごい?

posted2023/06/27 06:00

 
藤井聡太20歳「はっきり苦しい」王座戦で八冠ロード窮地→「毒まんじゅう」サク裂…《評価値6%》から大逆転の「6四銀」はナゼすごい?<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

最年少名人となった藤井聡太七冠は、佐々木大地七段とのダブルタイトル戦と王座戦挑戦権獲得にも挑んでいる

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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Keiji Ishikawa

 藤井聡太竜王・名人(20=王位・叡王・棋王・王将・棋聖を合わせて七冠)は、「八冠」制覇に向けて最後の関門である王座戦で、村田顕弘六段(36)と準々決勝で対戦した。両者の実績を大相撲に例えると、「横綱」と「十両」の取組に当たる。しかし「棋士人生を懸けて戦う」と決意を語った村田は、「村田システム」と称する戦法を用いて藤井を土俵際に追い詰め、「大番狂わせ」が起きるかと思われた……。村田の個性的な将棋、藤井の驚異の勝負手などについて、田丸昇九段が解説する。

「棋士人生を懸けて戦う」との言葉通り…

 第71期王座戦の挑戦者決定トーナメントで、藤井竜王・名人と村田六段が4強を目指して6月20日に対戦した。両者の対戦成績は藤井の3勝で、戦型は雁木(がんぎ)、村田の向かい飛車、相掛かりだった。

 村田は王座戦で藤井との対局に臨み、「最強の相手に対して、オリジナル戦法の村田システムで真価を問いたい。棋士人生を懸けて戦う」と決意を語ったという。その村田の棋士人生をまず紹介する。

 村田は1986年(昭和61)に富山県魚津市で生まれた。1999年に同郷の中田章道七段の門下で奨励会(棋士養成機関)に6級で入会。藤井の師匠の杉本昌隆八段とは、同じ板谷進九段の一門の系譜で「従兄弟」の関係に当たる。

 村田は2007年10月に四段に昇段して21歳で棋士になった。2008年度からは3年連続で、公式戦で6割台の勝率を挙げた。1年前後で棋士になった豊島将之九段、稲葉陽八段、糸谷哲郎八段と並んで、「関西若手四天王」と呼ばれていた。

 その後、前記の3人とは実績面で引き離されているが、安定した成績を毎年挙げている。通算勝率は5割5分9厘(6月25日時点)。マイペースで生きているようで、「高速道路を走っていなくても、ゴールに向かっている実感がある」と以前に語ったことがある。競艇好きで、愛称は「アッキー」。

藤井相手に用いた「新・村田システム」

 村田は近年「村田システム」と称する戦法を公式戦でいつも用いている。第1図は、序盤の基本形。

 最初は角筋を開けず(角交換を避ける意図がある)、5筋に右銀を上げる。そして、▲4六銀と中段に進めて敵陣に攻めていく。ただ相手の作戦によっては、▲6六銀と上げて受けに回る、▲5五歩から▲5六銀と上げて5筋の位を取る、▲6六歩から▲6七銀で「雁木」の駒組みを築くなど、多様な指し方で対応する。

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