大相撲PRESSBACK NUMBER
サンクチュアリ俳優・猿谷は千代の富士の“付け人”だった…!「僕の断髪式で号泣したんです…」実は“優しい親父”の素顔と忘れられない最後の会話
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/26 11:03
土俵の下で取組を見守る審判部長の九重親方(2010年)
「うわ、ヤバっ‼と思いましたよ。そんなに泣くなんて思わなかったですもん。他の力士の断髪式でも泣いてる姿なんて見たことがなかった。驚きました。僕は病気が原因で引退したんですが、師匠は『病気がなかったら、こいつは関取に上がったと思います』と言ってくれて、それがすごく嬉しかったです」
関取にできなかった後悔が千代の富士にそれだけの涙を流させたのだろうか。
普段の稽古場で見る師匠は、もちろん稽古に対して厳しい人だったという。ただ、大横綱の豪快なイメージに反して弟子への指導にはきめ細やかな一面もあり、澤田も基礎運動のやり方はマンツーマンで叩き込まれた。「こうやってやるんだぞ」と背中側のまわしをグッと抑えられ、腰を沈めた状態から四股、てっぽうを繰り返した。
「うちの部屋の四股はただの準備運動じゃなかったんです。それだけで強くなるための四股。それが終わって腕立てをやって、そのまま稽古しろと言われる。へとへとのところから絞り出して稽古をするので、みんな一気に強くなりました」
親方考案の交換日記「ノートはすごい量」
師匠とやり取りした交換日記のこともよく覚えている。記憶によれば、それは2009年頃に始まったという。
ある日、朝稽古を終えてちゃんこを食べていると、千代の富士が「これ、明日からやるからな」とみんなにノートを配り始めた。力士たちは各自で稽古の番数や本場所での取組内容を記し、自分なりの考えや改善点を書き添えて提出する。そこに千代の富士が赤ペンで講評を書き入れる。
「師匠は毎回、全員分を見てくれて『まだまだできてないよ』とかちゃんと添削してくれました。地方場所でもやっていたからノートはすごい量。かなりめんどくさかったですけど、それをやり始めてからみんな一気に番付を上げていったんです」